ご挨拶

IMG_0250_1.bmp子供たちは未来からの使者である、といいます。その子供たちがどんな社会を生きていくのか、現状を分析し未来を洞察し、必要な能力を身につけさせてやることが、教育者の務めだと思います。現状の子供たちを一番よく知っている皆様が、未来を生きる子供たちのあるべき姿を描き、現状とのかい離すなわち「教育ニーズ」をしっかりつかみ、学校の在り様を考えていただくことが、今一番大事になってきていると考えます。

そこで、この閉塞感あふれる日本社会をどう理解すればいいのか、という視点から私が蓄積してきたことを、皆様に情報としてお伝えし、考えるきっかけにしていただけたらと思い、この教育コラムマガジンを立ち上げました。 

7年間、岩手県の高校で民間人校長として勤務し、先生方との交流をした経験を踏まえた上で、経済や経営、政治や社会、教育や文化など、折に触れて小文を書き、情報提供していきます。

学ぶ姿勢・考える習慣を先生方自身が身につけ、経営品質賞の考え方を生かして、上意下達の指示待ちではなく、現場から発信し、教育委員会や文科省を動かしていただきたい。

志のある当サイト読者の方々のお役に、少しでも立つことを念願しております。

最新コラム

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2017-07-23 学習指導要領の捉え方

生徒の実態に合わせ、授業を工夫することの大切さを訴えています。


2017-07-20 いま取るべき経済政策

日本は、「公益資本主義」への回帰が、望まれているのではないでしょうか。


2017-07-18 わかりやすい構図

現状は、とてもわかりやすくなってきた、と思います。


 

読者の集いのお知らせ

第27回三木(さんもく)会を 地研のご協力の下、下記要領にて開催しますので お知らせします。

日時  8月17日(木)17時〜20時   毎月第3木曜日です。

場所  (株)日本地域社会研究所会議室(杉並区上荻1−25−1)JR荻窪駅徒歩8分

要領  このブログの読者で、会話を楽しみたい方、コンサルを受けたい方、講演会の企画をしている方、地域活動のノウハウを交流したい方、本を出版したい方は、是非ご参集下さい。

特典  参加費は無料です。初めて参加される方は、事前にメールでご一報ください。

学習指導要領の捉え方

教育170710

子供たちは未来からの使者である。その子供たちが、未来を生きていく上で、どのような知識を得る必要があるのか、どのようなスキルを身に付ける必要があるのか、一緒に考えましょう、というコンセプトで、このブログを主宰しています。

それで、世の中を感じ取る一助として、さまざまな角度から、情報提供しています。

なにぶんにも、浅学で偏った情報しか提供できていませんが、だんだんと自分の見方が、時間の経過とともに、世の中に受け入れられる環境になりつつあり、自信を深めています。励ましのメールをいただくことが多くなりました。

世の中に正解はない、という前提に立ちながらも、一人ひとりが、自分の正解を求めて、日々の日常業務だけでなく、広く見識を磨く癖をつけてほしい、と願っています。

先生方の、そういう姿勢こそ、子供たちに、長期的な影響を与えるものだと考えます。

背中で教える、というのが、一番「効力」を発揮します。教え子の中で、自分の姿勢に、あこがれてマネをする人物が出てくる・・・教師冥利に尽きることではないでしょうか。

そういう感化力を持つ先生を増やしたい。そこが教育の最大の課題だからです。学校では、先生と生徒の接触現場でしか付加価値は発生しません。

ブログ「教師の寺子屋」を主宰している現役教師に松尾英明という人がいます。その人のメルマガで、学習指導要領は「たたき台」と題する文章を紹介します。生徒の実態に合わせ、授業を工夫することの大切さを訴えています。

引用:
今年の3月に学習指導要領が公示されてから、教育界の動きは大きく変わった。
そもそも、学習指導要領とは何なのか。文部科学省のH.P.には次のように解説されている。
(引用開始)
学習指導要領とは何か?
全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするため、文部科学省では、学校教育法等に基づき、各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定めています。これを「学習指導要領」といいます。
「学習指導要領」では、小学校、中学校、高等学校等ごとに、それぞれの教科等の目標や大まかな教育内容を定めています。また、これとは別に、学校教育法施行規則で、例えば小・中学校の教科等の年間の標準授業時数等が定められています。
各学校では、この「学習指導要領」や年間の標準授業時数等を踏まえ、地域や学校の実態に応じて、教育課程(カリキュラム)を編成しています。
(引用終了)
国として、一定の教育水準を保つためのものである。つまり、あくまで土台、たたき台である。だから「地域や学校の実態に応じて、教育課程を編成」とある。
つまり、あくまで基準であり、すべてこの通りにやれというものではない。マニュアルはあくまでマニュアルであり、応用されるべきものである。

時にマニュアルから大きく外れても良いが、目的を見失ってはいけない。
例えば一般企業であれば「顧客満足」と「長期的利益」の双方は落とせない。
学校であれば、子どもの「学校が楽しいこと」と「長期的な成長」である。
それを最低限保証するためのものである。
学習指導要領にこう書いてあるからそうするという思考は、危険である。そんな姿勢で「主体的・対話的で深い学びを」などとは、口が裂けても言えない。アクティブ・ラーニングの視点は、むしろ教える側の心構えである。自分の頭で考えていないことこの上ない。
先頭に立っている人間が、もし間違えていたら、全員アウトである。結局、最終的に頼れるのは自分自身だけである。失敗しても成功しても、自分が決めたことなら納得がいく。
「文科省がこう言ったから」と過去の施策を批判するのは誰でもできる。
「学校がこうだから」「校長が、教頭が」「学年が」「子どもが」・・・。
誰かのせいにさえすれば、言い訳は無限にできる。
自分の責任においてなら、一切の言い訳はきかない。「自分がこう決めたから、こうした。」
自分の人生を背負える。学習指導要領は、あくまで土台、たたき台。それをどう実践して形にするかは、すべて自分の創意工夫。すべては私の責任。そう言い切れるように、他に依らずに自分の実践をしていきたい。(引用おわり)

いま取るべき経済政策

経済170709

異次元の金融緩和、機動的な財政政策、成長戦略、の3つの柱からなるアベノミクスは、かすんでしまっています。8%への消費税増税が、大きな失敗でした。プライマリーバランスという概念を導入し、緊縮財政を主導する、財務省の根本的な間違いです。

供給サイトの競争をあおるような政策ばかりを打ってきた、歴代政権の経済政策の失敗が、反省もされずに続いている、と考えたほうがいいでしょう。

にもかかわらず、政府は、好景気が長く続いている、と言っています。皆さんは、そういう実感はありますか?信じられないほどの楽観論の横行に、警鐘を鳴らしたいと思います。

 

実質経済成長が続いているのは、名目成長率よりも物価が下落しているからにすぎません。デフレから全く脱却できていないのです。デフレを単なる貨幣現象としてきた主流派経済学者の敗北です。やはり、需要喚起することです。「民のかまど」を豊かにすることです。

アメリカに言われるがままの「構造改革」を止め、積極財政に転換することです。

デフレは、供給力に対し、需要が不足していることから生じる現象です。需要喚起をして景気を良くして、税収を増やすことです。日本の財政は心配する必要はありません。

政治学的には、国家とは、領土と国民と統治権ですが、経済学的には、国家とは、家計と企業と政府です。政府は貧乏ですが、家計と企業は豊かで、政府の貧困を十二分にカバーしています。「機能的財政論」に立脚した政策こそ、いま取るべき政策です。

 

「グローバリズムに回帰する?アベノミクス」と題する 島倉原(しまくら はじめ)氏の文章は、正しい歴史観に基づいて記述されており、参考になると思うのでご紹介します。

引用:
7月6日、日本とEUの首脳協議で経済連携協定(EPA)が大枠合意されました。安倍首相によれば「アベノミクスの重要な柱」とのことで、合意後の共同記者会見では「自由貿易の旗手として手を携え、世界の平和と繁栄に貢献していく」と宣言されました。

しかしながら、自由貿易を推進して経済的な利益を追求する、いわゆるグローバリズムは、むしろ経済的な権益を巡る国際紛争の機会を高める、というのが歴史の教訓です。
事実、19世紀後半以降本格化した「第1次グローバル化時代」の下での貿易の拡大は、
経済権益の獲得と結び付いた「帝国主義」という名の国家のエゴをエスカレートさせ、
その結果として生じた第1次世界大戦によって終焉を迎えました。
そのことは、基軸通貨国として当時のグローバル化の中心にあった、イギリスの貿易依存度(=輸出入額÷GDP)の推移からも読み取ることができます。

「国際分業」というと何やら聞こえが良さそうですが、貿易の拡大は生産労働者と消費者の分断を促進し、低賃金労働を求める企業が国境を越えて生産拠点を移すことが容易になるため、生産拠点が移される側(主に新興国)も含めて経済的な格差が拡大します。
その結果、社会は不安定化し、排外的な傾向が強まり、国際紛争につながります。
そもそも、グローバル化の背景にあるのは金儲けを追求する資本の論理。
そこに、国際的な資本移動の活発化が伴うのは、19世紀も現代も共通しています。
結果として、各国の金融市場は不安定さを増して金融危機の発生頻度が高まりそれがまた、実物経済にも悪影響を与え、格差の拡大も助長しています。
その典型例が、現代においては2008年に生じたリーマン・ショックです。
また、1930年代の世界恐慌も、第1次グローバル化がピークアウトした後の事件ですが、
それ以前の国際資本移動の進展によって増幅された経済危機であったと言われています。
その混乱がファシズムの台頭を招き第2次世界大戦につながったとすれば、ここでもまた、グローバル化が国際紛争につながったと言えるでしょう。
しかも、グローバル化の下でも、内需すなわち国内経済主導の経済運営を行い、長期的に貿易依存度を低下させる国の方が、むしろ経済発展している。
その典型例が第2次大戦以前のアメリカ、あるいは戦後から1990年代前半までの日本です。
対して、明治以降の日本は第1次グローバル化時代終焉後もグローバリズム路線を継続し、
内需主導の経済成長につながる高橋財政の直前に満州事変を引き起こし後戻りができないまま破滅的な太平洋戦争に突入しています。
格差の大きさも含め、当時の政治経済体制には、その意味で明らかな欠陥があった。

消費税増税をはじめとする緊縮財政によって内需を冷え込ませる一方で、グローバリズムを推進するアベノミクス。「戦後レジームからの脱却」を掲げた首相の下での経済政策が、「戦前的なグローバリズムへの回帰」となっているのです。
今の日本に必要なのは、内需主導の成長を実現する積極財政政策です。(引用おわり)

安倍首相には、「機能的財政論」をご理解いただき、「プライマリーバランス」という呪文から離脱していただきたいと思います。そして、戦前と同じように、グローバリズムに突き進むことの危険性を、認識していただきたいと思います。

考えてみれば、文化的基盤という概念のない、複式簿記の考え方も理解していない、財務省官僚や主流派経済学者が、IMFや世界銀行といった国際金融資本の手先の思惑通りに日本を構造改革させ、デフレに追いやり、格差拡大・地方疲弊を招来したことは、もう結論が出ています。誰が見たって、日本の現状はそういうことでしょう。

国際経済の現状に警告を発している、ピゲティもスティグリッツも無視され、スーザン・ストレンジもダニ・ロドリックも、考慮の外に置かれています。

政府・権力者の提灯持ちの機能しか果たせていない日経新聞をはじめとするマスコミは、もう「終わっている」と言っても差し支えない状況です。

私は、アメリカやイギリスの豹変こそ、これからの「時代の流れ」になるものと思います。

保護主義ということではなく、バランスのとれた「中庸の道」を模索すべきときでしょう。日本は、「公益資本主義」への回帰が、望まれているのではないでしょうか。

わかりやすい構図

政治170708

私の趣味は、世の中を知ることです。知れば知るほどわからないことも増えてきますが、それでも現状は、とてもわかりやすくなってきた、と思います。

アメリカが、日本の台頭を制限するために作ったルールに、アメリカ自身が耐えきれなくなって、トランプ大統領を生んだと考えれば、分かりやすい構図が出来上がります。

日本は、アメリカの植民地だった、と考えれば、すべて説明がつくではありませんか。

日本経済が成長から取り残されてしまったことも、地方創生担当の国務大臣を置くほどに地方が疲弊してしまったことも、最近はようやく緩和されてきたものの7人に1人の子供が貧困にあえいでいることも。

もう、結論が出ているにもかかわらず、日本のマスコミは、そうした真実を取り上げようとしないことも、植民地として屈服させられているとしたら、すべて説明がつく。

何か大きな力で、日本全体が金縛りにでもあっているのでしょうか。そんな気がします。

 

日本はとてもいい国です。人々は、生まれ育った土地を大切にし、そこで一生、生きていくために、働ける自分の居場所を見つけようとします。

そういう「山の国」では、雇用の場も増えず、給料も上がらず、そこで商売している人は、日本が好況だ、などとは信じられないでしょう。

自由競争を旨とする「海の国」の論理に、すっかり、はめ込まれてしまった結果です。

世界を見据えた大企業は、国内に投資をせず、海外企業の買収に血道を上げています。

資金効率を上げていくためには、少子高齢化で衰退する日本に投資をせず、その方が経営者の評価が上がるからです。

そういうかじ取りをする経営者に聞きたい。何のための、誰のための、経営なのか。

世のため人のためになる事業は、必ず顧客から認められ、利益がついてくる。

日本的経営は、長期的観点で、そういう発想で、経営していました。

いつからか、英米流の資本主義に、「海の国」はすっかり洗脳されてしまいました。

日本は、明らかに、「海の国」と「山の国」に分断されている。

そう考えると、すべてのことが、説明がつくではありませんか。わかりやすい構図です。

 

グローバル化と称する、こうした一連の流れは、実は、初めての経験ではありません。

大正から昭和の初めにも、同じような時期がありました。大恐慌後の、日本の農村の疲弊、都市部の失業者の増大、荒んだ世相から、国家主義・軍国主義が、力を得てきました。

格差の拡大が、許容範囲を超え、民衆は「独裁者」を求めだしたのです。グローバル化は、国民を分断し、どこかの地点で、「保護主義」に逆戻りします。かつての保護主義は、ABCD包囲網を形成するに至りました。軍事対決へと進む、典型的な事例です。

トランプ大統領の誕生で、西側諸国の関係も軋んでいます。以前と違うのは、中国が力を蓄えてきたことです。中国は、中華思想に汚染され、しかも、共産党の一党独裁国家ですから、極めて危険です。こういう事態を招いたことは、キッシンジャーをはじめとする、アメリカ親中派の間違いです。露骨に覇権の譲渡を要求されていくことになると思います。

日本とは、根本的に異なる国家であることを、理解できなかった過ちです。

 

それにしても、アメリカ人の歴史観を、何とかしたいものですね。ルーズベルトの悪行を、トランプのロシア・ゲートと関連させて、何とかオーソライズさせたいものです。

そして日本人自身も、司馬史観をはじめとする自虐史観から卒業することが望まれる。

そういう立場に立てば、現状分析は、とてもわかりやすくなります。

 

日本は、幸い、昔から中国とは縁が深く、中国の国家観とか中国人の我田引水的性格を、良く知っています。「一帯一路」などという方向が、その地域のためのものではなく、中国の覇権確立のためのものである、という信念があります。

そういうことがわかる国と同盟を結び、アメリカと協力して、中国の台頭を抑止しないと、アジアの平和は保てません。イギリス、フランス、インド、ロシア、との外交を重視すべきです。タイ、インドネシア、マレーシア、オーストラリア、ベトナム、も重要です。

これも考えてみれば、わかりやすい構図ですね。

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