ご挨拶

IMG_0250_1.bmp子供たちは未来からの使者である、といいます。その子供たちがどんな社会を生きていくのか、現状を分析し未来を洞察し、必要な能力を身につけさせてやることが、教育者の務めだと思います。現状の子供たちを一番よく知っている皆様が、未来を生きる子供たちのあるべき姿を描き、現状とのかい離すなわち「教育ニーズ」をしっかりつかみ、学校の在り様を考えていただくことが、今一番大事になってきていると考えます。

そこで、この閉塞感あふれる日本社会をどう理解すればいいのか、という視点から私が蓄積してきたことを、皆様に情報としてお伝えし、考えるきっかけにしていただけたらと思い、この教育コラムマガジンを立ち上げました。 

7年間、岩手県の高校で民間人校長として勤務し、先生方との交流をした経験を踏まえた上で、経済や経営、政治や社会、教育や文化など、折に触れて小文を書き、情報提供していきます。

学ぶ姿勢・考える習慣を先生方自身が身につけ、経営品質賞の考え方を生かして、上意下達の指示待ちではなく、現場から発信し、教育委員会や文科省を動かしていただきたい。

志のある当サイト読者の方々のお役に、少しでも立つことを念願しております。

最新コラム

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2017-05-28 保守の神髄(1)

ある社会の秩序は、文化や慣習、常識、道徳意識といった、その社会の人々が暗黙裡に共有しているものに依拠している割合が結構大きいのです。


2017-05-25 寛容な社会とは

もう結論は出ている。いかに過去を反省し、軌道修正していくかである。


2017-05-22 経営のプロと呼ばれる詐欺師たち

世の中に、経営のプロと呼ばれる詐欺師が横行しているようだ。


2017-05-20 解決されない方がいい問題

問題があり続けたほうが得策である、という事態が存在する。

それは、中国にとっての北朝鮮問題であり、中国や韓国の、日本との歴史認識問題である。


 

読者の集いのお知らせ

第25回三木(さんもく)会を 地研のご協力の下、下記要領にて開催しますので お知らせします。

日時  6月15日(木)17時〜20時   毎月第3木曜日です。

場所  (株)日本地域社会研究所会議室(杉並区上荻1−25−1)JR荻窪駅徒歩8分

要領  このブログの読者で、会話を楽しみたい方、コンサルを受けたい方、講演会の企画をしている方、地域活動のノウハウを交流したい方、本を出版したい方は、是非ご参集下さい。

特典  参加費は無料です。初めて参加される方は、事前にメールでご一報ください。

保守の神髄(1)

政治170511

施光恒氏は、私の言いたいことを代弁してくれるので、今までもたびたび引用してきたが、社会が秩序を保ち、われわれが、安全・安心でいられることの要諦をわかりやすく論じてくれているので、紹介します。

共謀罪を含むテロ等防止法や秘密保護法などの「筋の悪い」法律が相次いて成立し、憲法改正が議論の遡上に挙げられるようになった現在、われわれが考えるべき、多くの視点を提供してくれている、と思うからです。

引用:

イギリス中部のマンチェスターでテロ事件が発生し、22名が犠牲になりました。IS(イスラミックステート)が事件への関与を主張する声明を出しています。
このテロ事件の発生を聞いて、私は、三橋さんが最近よく言及している「移民政策のトリレンマ」を思い出しました。 
三橋さんが定式化した「移民政策のトリレンマ」とは、「外国人移民受け入れ」、「治安維持」、「国民の自由」の三つを、同時に成り立たせることは不可能だという命題です。
つまり、以下の三つの選択肢のうち、我々は一つを選ぶしかないのです。
(1)移民を受け入れ、治安を維持しようとすると、自由を失う。
(2)移民を受け入れ、自由を保とうとすると、治安が悪化する。
(3)自由を保ちつつ、治安を維持したいのであれば、移民を受け入れることはできない。
現状で各々の選択肢をとっている実例として、三橋さんは、(1)についてはシンガポール、(2)はヨーロッパ諸国や米国、(3)はこれまでの日本、を挙げています。
このトリレンマの議論は、ホントに卓見だと思います。 

普段あまり意識しませんが、我々の享受している政治秩序とは、文化や慣習、道徳感覚の共有といった「半ば無意識のもの」にかなりの程度依拠しているという事実を的確に洞察しているからです。
現代人は、秩序というものは、もっぱら政治権力や法律、ルールによって作り上げられていると考えがちです。しかし、そうではありません。ある社会の秩序は、文化や慣習、常識、道徳意識といった、その社会の人々が暗黙裡に共有しているものに依拠している割合が結構大きいのです。
また、文化や慣習、常識、道徳意識などを共有している人々の間に成立する仲間意識(連帯意識)にも大いに支えられているという点も忘れてはいけません。
例えば、日本の秩序は、日本人の多くが共有している文化(言語もその一つです)、慣習、常識、道徳意識にかなりの部分、依存しています。 (中略)

「知識人」を自認する人々が望ましいと思うか否かにかかわらず、各地の秩序は、文化や慣習、常識、道徳意識といった「半ば無意識のもの」や、それを共有する人々の間で生じる連帯意識に基づき形成されています。
ですが、グローバル化の流れは、各地域の特有の文化や慣習、道徳意識を壊し、世界を「グローバル・スタンダード」へと一律化しようとします。加えてグローバル化は、各地の人々の連帯意識も破壊してしまう恐れが大きいのです。移民政策は、グローバル化推進策の最たるものの一つです。
移民政策を推進すれば、各地の秩序を支えてきた「半ば無意識のもの」はうまく機能しなくなります。人々の連帯意識も弱まります。その結果、当然、秩序は揺らぎ始めます。
この揺らぎにもかかわらず、政府が、移民受け入れを継続し、なおかつ何らかの統制強化策もとらない場合、治安が悪化します。
「移民政策のトリレンマ」で言えば、選択肢(2)「移民を受け入れ、自由を保とうとすると、治安が悪化する」が示すとおりの事態に陥ります。
先日のマンチェスターでのテロ事件をはじめとして、テロや暴動が数多く発生し、治安がボロボロになっている昨今のヨーロッパは、まさにこの状態にあるといえるでしょう。
テロや暴動が頻発する状態に、多くの人々は耐えられません。移民受け入れをはじめとするグローバル化政策を推進する限り、ヨーロッパは徐々に、治安維持のために人々の様々な自由を制限する方向に向かうでしょう。つまり、「移民政策のトリレンマ」の(1)「移民を受け入れ、治安を維持しようとすると、自由を失う」という状態に向かっていくと思います。 (中略)

グローバル化路線を継続するために、結局、自由や民主主義をしだいに捨て去っていくというこの方向性、ばかばかしいですよね。
移民推進などのグローバル化政策は、自由や民主主義、あるいは治安のいい安心して暮らせる社会などを犠牲にしてまで追求する価値のあるものだ、とは到底思えません。
移民政策はとらず、その他のグローバル化にも一定の歯止めをかけ、ヒト、モノ、カネ、サービスの国境を越える動きを、国民の民主的な意思できちんと監督・調整できる力を取り戻すほうがはるかに良いでしょう。
昨年生じた英国のEU離脱の決定や米国のトランプ大統領選出がそうであったように、「グローバル化路線は、格差拡大や治安の悪化を招くなど望ましくない点が多いため見直すべきだ」という声は、今後もしだいに大きくなっていくでしょう。
今のグローバル化路線よりもましな、より公正で安定し、害悪の少ない世界をどのように作っていくか、つまり「ポスト・グローバル化」の世界秩序構想をいかに練っていくかについて、そろそろ腰を据えて考えていかなければなりません。
その際、重要なのは、ある社会の秩序を作りだし支えているのは、政治権力や法やルールといったものだけではなく、その社会の多くの人々が共有している文化や慣習、常識、伝統といった「半ば無意識のもの」でもある、という事実をきちんと認識することなのです。(引用おわり) 

この施光恒氏の見解こそ、正統派保守主義の考え方だと思います。

現在の保守政党の主流は、リベラル国家アメリカに追随し、「自由と民主主義」に名を借りて、新自由主義的施策を展開する勢力です。

本来の保守は、「構造改革」などということを訴えるはずはありません。

今もって既得権益者に邪魔されて「構造改革」が進まないから経済成長しないとか、財政規律を維持しないといずれ国家破たんをきたすとかの説を、信じているような保守勢力が、日本を駄目にしているのだと思います。

寛容な社会とは

社会170510

年齢を重ねても、世の中は知らないことばかりで、私の知識など、たかが知れている。

しかしながら、知らないということを知っていることは大事なことである。だから、死ぬまで学習しようと思うわけだ。ソクラテスは、これを「無知の知」と呼んだ。

世の中のことは、複雑系で、多数の変数からなるので、ある前提を置いて、

仮説を立てる→やってみる→検証する→新たな仮説を立てる→やってみる・・・

を繰り返すしかない。

だから、過去の失敗に対しては、寛容でなければいけない。

 

結果が出ないということは、何かが間違っているのである。

たとえば、日本経済は、ここ30年において、ほとんど成長していない。多くの先進国では、この間に、約2倍から3倍の規模になっている。

アメリカのGDPは1991年が約6兆ドル、2011年が約15兆ドルとなっており、ここ20年で約2.5倍になっている。そうした中で2011年、日本はついに中国に抜かれ、GDPの規模で世界第3位の国へと後退した。

 

経営においても、アメリカ式経営にしてから、リストラを繰り返したり、M&Aに失敗したりしている企業が跡を絶たない。しかも、その要因の分析など、行われていない。

上司や先輩に遠慮して、通常、日本では、要因分析などしない。そんな追及をしようものなら、「出ていけ」と言われかねない。日本の組織に巣食う同調圧力の壁にさえぎられて、まともなマネジメントが出来ていない。「忖度する」ことの美風が暗黙の間にできており、決まりがあるわけでもないのに、社会に染みついているルールは、数多く存在する。

異議を唱えるためには、それこそクビを覚悟して、あるいは窓際を覚悟して、進言しなければならない。組織の「当たり前」を「おかしい」と言うこと、これは相当の勇気がいる。

 

塩野七生さんによると、ローマ人は、「知力ではギリシャ人に劣り、体力ではゲルマン人に劣り、技術力ではエルトリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣るのが自分たちローマ人である」と自ら認めていた。
それなのに、なぜローマ人だけが帝国を築き上げ長期にわたり維持することができたのか。
「ローマ人が優れていたのは自分たちの持っているものを徹底的に活用する能力である。」

ローマの版図を広げたのは、「敗者をも同化する寛容の精神」であった。

 

日本人は、勝ち負けと正邪は、切り離して考える。歴史的事実で見ても、敗者=悪者ではない。むしろ、運が味方せず、敗者となって滅んでも「判官びいき」ということさえある。「易姓革命」を繰り返す中国や韓国とは、一線を画していることだけは確かだ。

彼らにとっては、歴史とは政治そのものである、ということを理解する必要がある。

 

日本の学校教育では、己を律することを教え、他人に慈悲の心で接するべきことを教え、譲り合う精神や生かされていることへの感謝の気持ちを教えている。

社会へ出ると、「信用」を何よりも尊重する組織風土のなかで、顧客本位の姿勢を涵養する。

なんやかんや言っても、こうした要素が組み合わさって日本はまだ豊かな生活を維持している。日本を日本であらしめる精神が、意識せずとも、身に付いている人たちが、特にも地方において、大勢いるのである。そうした文化的基盤を、ないがしろにしてはいけない。

そういうことの理解できないエリートたちが、アメリカ追随を繰り返し、その結果、地方創生とか、子供の貧困対策とかに配慮せざるを得なくなってきた。そこが問題なのである。

 

何度も言うが、もう結論は出ている。いかに過去を反省し、軌道修正していくかである。

アメリカからの圧力を受けて行った「構造改革」なるものは、すべて完全に失敗した。

社会は「ありてあるもの」で、そこには、因果関係が必ず存在する。

それを紐解くこともせず、一時の流行で、浅はかな短慮で、不易を変えてきた昨今である。

間違った軌道を歩んだ人たちに、間違いでしたね、と念押しするのは、現役の世代の役割である。そういうことができる社会を「寛容な社会」というのではないか。

経営のプロと呼ばれる詐欺師たち

経営170509

世の中に、経営のプロと呼ばれる詐欺師が横行しているようだ。きらびやかな経歴を持ち、それをウリに、さまざまな企業を渡り歩く。どんな業種でも、経営は一つ、というわけである。だが、本当にそんなことができるのだろうか、無能な私は、常々疑問に思っていた。

しかし、ここへ来て案の定、失敗ばかりしている現状が露呈している。特に、M&Aの失敗が話題になることが多い。東芝、日本郵政、第一三共、キリン、日本板硝子、リクシル・・・

彼らは、MBA仕込みの、資金効率優先経営を目指すのであるが、欧米の貴族主義的トップダウン形式は、余程のコミュニケーションスキルの持ち主でない限り、日本では難しい。

なぜなら、神代の昔から、「民のかまど」を心配する帝であるから、統治できたのである。自由・平等・共生の近代精神が、市民革命を経験することもなく、醸成されていたのである。そんな文化的基盤を知らずに、日本で、まともな経営ができるはずがない。

三方よしの経営でなければ、永続性に問題が出ることは必至である、と認識することだ。マネーゲームは、所詮バクチである。丁と出るか半と出るかで人生が狂ってくる人を大勢生み出してきたのが、昨今の日本の現状である。

 

さて、ここで、改めて経営者たるものの資質を考えてみよう。世の中のことは、まことに変数が多く、仮説を設定して、それをもとに、方針を打ち出さざるを得ない。

そんななかで、経営のかじ取りをするには、情報を正確に取得し、絶えず検証することが大事である。営業第一線・製造第一線の現場は、その情報の宝庫である。

上から下、下から上への情報伝達のパイプを詰まらせないことが、何よりも肝要である。

公教育の場では、これがうまくいっていない。かつて、私は、文科省でのヒアリングで、上は学校現場を知らない、下は社会を知らない、それを繋ぐべき文科省役人・教育委員会・学校管理職は機能していない、と喝破したことがあるが、ツーウェイコミュニケーションは、どんな組織でも、一番の要である。

そうしないことには、P―D―C―Aが回ることはない。日本の組織でまともにこのマネジメントサイクルを回している企業があるのだろうか。

先輩上司の顔色をうかがい、それこそ「忖度」し、あいまいな態度で終始している企業が多いのではないだろうか。だから、いつまでたっても「学習する組織」になり得ない。

寄合民主主義の、負の側面ばかりが目立つ仕儀となる。トップの禅譲は、引退した自分を暖かく処遇することばかりが重視される。

アンナ・ハ―レントが流行るというのは、それだけ「凡庸なる悪」が蔓延しているからではないのか。ナチスの恐怖政治に手を貸した面々が、当時の法律を規定通り運用しただけ、とうそぶく姿と似た情景が、日本中に見られる。

企業だけでなく、日本全体が、戦前と同じ欧米追随という過ちを繰り返しているのに、そのことにすら気づいていない日本人のいかに多いことか。

そもそも、まともな日本人ならば、カネもうけが人生の目的にはなり得ない。原罪という概念から派生する労働観を持つような日本人は、本来の日本人ではない。

やはり、トップに立つ人は、ドラッカーの指摘の通り「真摯さ」や「謙虚さ」が第一条件だと思う。これさえあれば、組織の風通しがよくなり、失敗を糧にすることができるようになるからである。

 

二番目に大事なことは、グローバル化しているという現状の中で、急速な科学技術の進歩が避けられないので、こうしたことに対する知見があることではないだろうか。

AIやIOTなどのデジタル技術や生命科学やロボット技術なども急速な革新が見込まれる。

そうした変化に対して、俯瞰的な見識を持っているかどうか。経営学に、SWOT分析というのがあるが、まさしくこのSWOT分析が、正確にできる能力が要求される。

社会人は実務があるから、十分な学習時間はないが、自分の仕事を通じて体験したことを敷衍して、常に幅広い見識を積み重ねることのできる人物、ということではないか。

あるいは、他人の能力を生かし切る能力がある、ということではないか。

いずれにしても、学ぶ姿勢と考える習慣が、しっかりと身に付いた人物でなければならない。

 

最後に必要な要件は、精神的にタフということではないか。決断が伴う仕事は、ストレスが溜まる。全知全能を傾けて決断したとしても、想定外の事態もあり得る。そんな時の身の処し方も含め、伊勢雅臣氏の提唱する「国際的日本人」がいま求められているのだと考えます。己に厳しく、人にやさしく、和の精神でみんな仲良く、が本来の日本人のはずではないでしょうか。

私流に言い換えると、日本人としての世界観・歴史観・価値観をしっかりと持ち、奢れる欧米人たちと対等に渡り合える人物、ということです。

学校教育だけでなく、企業内研修や生涯学習を充実させ、もっと学ぶ機会を増やしていかなければ、どうも日本全体が「反知性主義」に傾いているように感じます。

解決されない方がいい問題

政治170508

問題というのは、そこにあるべき姿とのかい離があるから問題である、と認識されるのであるが、一部の国家では、問題があり続けたほうが得策である、という事態が存在する。

それは、中国にとっての北朝鮮問題であり、中国や韓国の、日本との歴史認識問題である。

北朝鮮問題については、石平氏の見解が的を得ていると考えるので、これを引用する。

引用:

今、北朝鮮問題への中国の関与が世界的に注目されている。米トランプ政権が問題解決へ向けて中国の役割を大いに期待していることは周知の通りだ。

北朝鮮は以前から、中国にとって「話を聞かない厄介な弟分」という面は確かにある。
しかしその一方で、中国からすれば北朝鮮は、さまざまな利用価値のある「貴重な存在」でもある。
北朝鮮が何らかの際どいことをやって暴れ出すと、アメリカは必ず中国に頭を下げて協力を求めてくるから、その分、中国のアメリカに対する立場が強くなる。
当選した当時、中国に対して厳しい姿勢を示したトランプ大統領は、徐々に態度を変え、習近平国家主席に「絶対的な信頼をおく」と公言するまでに至っているが、大統領「豹変」の背後にあったのが北朝鮮危機であることは明白だ。
ある意味では、北朝鮮危機のおかげで習主席は、本来なら中国に向けられたはずのトランプ政権の矛先をうまくかわすことができた、ということである。
世界に脅威を与えている北朝鮮の核保有も、中国の目からすれば、別の意味を持つものとなる。北朝鮮の核が世界にとって脅威であればあるほど、その脅威が現実的なものとなればなるほど、アジアや世界に対する中国の軍事的脅威は影を薄め、忘れられてしまうからである。
実際、今年に入って北朝鮮危機が高まって以来、中国が南シナ海で何をしているかは、もはやアメリカやアジア諸国の関心の焦点では無くなっている。
そういう意味で北朝鮮の核の脅威は、中国が自らの覇権主義戦略をひそかに推進していくための「隠れみの」にもなっている。
北朝鮮の存在と脅威が中国にとってそれほど有用なものであるなら、習近平政権は決して、
北朝鮮問題の完全解決に本腰を入れようとしないであろう。
中国の王毅外相に至っては、「解決の鍵は中国の手にはない」と強調する一方、「北朝鮮危機が制御不能となる可能性がある」と、まるで傍観者であるかのような振る舞いに徹している。つまり中国は、本気で北朝鮮問題を何とかしようとは考えていない。

それもそのはず、北朝鮮が「問題」であって「脅威」であるからこそ、中国にとって利用価値があるからである。
北朝鮮問題が完全解決された暁には、中国は一気に、対米外交における最も有力なカードと、自らの拡大戦略推進の「隠れみの」を失うのである。
したがって習近平政権は、トランプ大統領に協力する素ぶりで「努力」しているかのように見せているが、石油供給の完全停止など、思い切った北朝鮮制御の「必殺の剣」は決して抜かないだろう。(引用おわり) 

歴史認識問題においても「南京虐殺事件」や「従軍慰安婦問題」が話題になればなるほど、日本の外交力は阻害され、中国の少数民族への人権侵害や、ヘル朝鮮と言われる経済問題は、かすんでいく。事実などといったものはどうでもよくて、そのテーマが話題になることこそが、統治の正当性を確立し、経済的利益につながり、中国に至っては、世界覇権を狙う彼らの戦略なのである。

歴史とはもとより、それを記述する者が創り出す物語の集積と、絶えざる改編の過程に他ならない。フランス語では、「歴史」も「物語」も同じhistoire、英語のhistoryにもドイツ語のGeschichteにも、両様の意味合いが含まれている。

歴史とは、現代人が、統治に欠かせないストーリーを、都合の良いように、紡ぎ出していくものなのである。そういうことを、私たち日本人も、しっかりと自覚する必要があるのではないでしょうか。

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