ご挨拶

IMG_0250_1.bmp子供たちは未来からの使者である、といいます。その子供たちがどんな社会を生きていくのか、現状を分析し未来を洞察し、必要な能力を身につけさせてやることが、教育者の務めだと思います。現状の子供たちを一番よく知っている皆様が、未来を生きる子供たちのあるべき姿を描き、現状とのかい離すなわち「教育ニーズ」をしっかりつかみ、学校の在り様を考えていただくことが、今一番大事になってきていると考えます。

そこで、この閉塞感あふれる日本社会をどう理解すればいいのか、という視点から私が蓄積してきたことを、皆様に情報としてお伝えし、考えるきっかけにしていただけたらと思い、この教育コラムマガジンを立ち上げました。 

7年間、岩手県の高校で民間人校長として勤務し、先生方との交流をした経験を踏まえた上で、経済や経営、政治や社会、教育や文化など、折に触れて小文を書き、情報提供していきます。

学ぶ姿勢・考える習慣を先生方自身が身につけ、経営品質賞の考え方を生かして、上意下達の指示待ちではなく、現場から発信し、教育委員会や文科省を動かしていただきたい。

志のある当サイト読者の方々のお役に、少しでも立つことを念願しております。

最新コラム

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2018-04-21 分かち合いの文化(2)

戦後も戦前と同じアメリカ追随という失敗を繰り返している。そういう自覚すらないことが、日本の大問題である。


2018-04-19 分かち合いの文化(1)

政財官の主流派が、「日本の原点」を認識していなかったから、こういう閉塞状態に追い込まれた、と私は考えている。原点とは、日本伝統の「公の精神、和の精神」に他ならない。


2018-04-17 最近の中国関連記事から(7)

経済発展すれば、中国も民主化されるだろうとするアメリカ親中派の望みも虚しく、中国は、ますます逆コースを歩んでいる。


読者の集いのお知らせ

第36回三木(さんもく)会を 地研のご協力の下、下記要領にて開催しますので お知らせします。

日時  5月17日(木)17時〜20時   毎月第3木曜日です。

場所  (株)日本地域社会研究所会議室(杉並区上荻1−25−1)JR荻窪駅徒歩8分

要領  このブログの読者で、会話を楽しみたい方、コンサルを受けたい方、講演会の企画をしている方、地域活動のノウハウを交流したい方、本を出版したい方は、是非ご参集下さい。

特典  参加費は無料です。初めて参加される方は、事前にメールでご一報ください。

分かち合いの文化(2)

文化180408

東京山手線は乗り遅れても、3〜5分で次の列車が来る。しかも結構人が乗っている。JRにとってはドル箱だと思う。そこでの余剰利益を北海道や東北、四国などの過疎地帯の鉄道の赤字補填に使って文句を言う人が、日本の中にいるだろうか。

かつては、台湾・朝鮮といった後進地帯の近代化に、大日本帝国の血税を投入しているのである。「八紘一宇」の理想を掲げて、大東亜共栄圏を築こうとした。

帝国主義であることは否定しないが、欧米列強の過酷な植民地支配とは一線を画していたことも事実である。

戦争に一度負けたくらいで、すべてを否定することはない、と私は思う。

ただ、どう考えても無謀な戦争であったことも確かであるが、それではどこで間違ったのか、ということを日本人は真摯に考えてきたであろうか。

同調圧力が強く、すぐに空気に流されてしまうわれわれの組織的欠陥は、戦後是正されたのであろうか。否と言わざるを得ない。戦後も戦前と同じアメリカ追随という失敗を繰り返している。そういう自覚すらないことが、日本の大問題である。

その要因を、長く考えてきたが、やはり、エリート層が十分な知識を蓄えていないことが基本にあって、かつまた社会へ出てからも学習する習慣が身に付いていないからだと思う。

国民の平均的レベル、いわゆる民度がこれほど高いにもかかわらず、それを率いるエリートたちのお粗末さが、私には何ともやりきれない。

例えば、今の日本人で、「大東亜会議」を知っている人がどれほどいるだろうか。

ひとり重光葵の功績というにとどまらず、そのコンセンサスは兵士にも浸透し、だからこそ、敗戦後も武装解除に応じず、インドネシアやベトナムに留まり、列強と独立戦争を戦った日本兵が多くいたのだ。

そういう私の想いを後押ししてくれる文章をネットで発見したので読者にご紹介する。 

引用:

東條内閣で外相となった重光の重要な功績が1943年の「大東亜共同宣言」の採択でした。
当時、ルーズベルトとチャーチルが署名した「大西洋憲章」(1941年)は人種平等を謳い、民族自決の原則を掲げながら、植民地の有色人種には適用されませんでした。
人種平等を目指した重光は「敵側の弱点の重大なるものはアジアに対する差別概念である」として、「アジアの解放」という理念を日本の戦争目的に掲げたのです。

当初、重光は現在の国際連合のような国際機構のアジア版を構想しましたが、壮大すぎて理解されませんでした。しかし、その後1943年11月5日にアジア各国の指導者を東京の帝国議事堂(現国会議事堂)に集め、「大東亜会議」を開催しました。
会議には大日本帝国のほか、中華民国、タイ、満州国、フィリピン、ビルマが参加し、オブザーバーとして自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが出席。大東亜の共存共栄、各国の自主独立、各国の伝統の尊重、大東亜各国の提携による大東亜の繁栄、人種差別の撤廃という五原則を謳った「大東亜共同宣言」を採択しました。
人類史上初の人種平等宣言は大西洋憲章の欺瞞性を暴き、欧米諸国に大きな衝撃を与えました。これ以降、アジア、アフリカでの欧米植民地政策を批判する欧米メディアまで登場したのです。
一方で、アジアの多くの国には列強支配を打ち破る勇気を与えました。戦後の1955年にインドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議に参加した加瀬俊一氏(初代国連大使)はアジア・アフリカ各国の代表から「日本のおかげで我々は独立できた」と握手責めにあいました。
敗戦後の日本には、あの戦争を侵略戦争と断じる東京裁判史観が浸透しましたが、重光が構想した大東亜宣言とアジアの解放こそが日本における外交の考え方であり、だからこそ今でもアジアには親日的な国が多いのです。 (引用おわり) 

この30年、日本国を指導してきたリーダーたちは、GHQのWGIPに支配された教育内容を履修し、自虐史観に汚染された歴史認識しか持てず、腰抜けにされてしまった。

憲法改正論議が、政治日程に上がってきたが、姑息な解釈改憲を積み上げるのではなく、正々堂々と、アメリカの歴史観と対峙すべきであると思う。

いずれ、アメリカの方から、軍備増強を要請してくるだろうから、そのときまで待て、と私は言いたい。安易に、アメリカの意向を「忖度」すべきではない、と考える。

分かち合いの文化(1)

文化180407

日本は、立派な人が多く住む、本当に「いい国」だと思う。いわゆる「民度」は世界最高レベルだろう。

ところが、この30年、日本の政財官のリーダーに恵まれず、衰退の過程をたどっている。

経済力の相対的地位を下げ、しかも、欧米式の下劣な経済思想がはびこり、守るべき伝統文化にまで悪影響を与えている。日本人は、こんな卑しい国民ではなかったはずだ。

 

世界を見回してみても、格差の拡大と、紛争の頻発は、留まることを知らない。

本来ならば、日本が世界の中で存在感を発揮し、世界史的役割を担うことが21世紀の世界にとって大事なことだと考えているが、どうも逆行し、アメリカが相変わらずの自己中心の「正義」を振り回し、中国が、アメリカの向こうを張って「覇権」を狙うまでに至ってしまった。

 

そういう情勢について、国家のレベルにおいても、企業のレベルにおいても、P―D―C―Aのサイクルを回すことなく、誰も「マネジメント」をしていない。

戦争にまでは至っていないものの、アメリカと同じ土俵に立つという「戦前と同じ道」を繰り返しているではないか。覇権国のルールに従わされてきた、という自覚すらない。

われわれ世代の失敗経験で得た教訓を、若い世代につなげていかなければならないと思う。

 

政財官の主流派が、「日本の原点」を認識していなかったから、こういう閉塞状態に追い込まれた、と私は考えている。原点とは、日本伝統の「公の精神、和の精神」に他ならない。

「三種の神器」を統治の基本とし、「民のかまど」を優先する国家は、どこへ行ってしまったのか。

竹村公太郎氏(日本水フォーラム事務局長)「水の分かち合いの奇跡」という文章は、その「日本の原点」を考えさせるものである。読者諸兄にご紹介する。 

引用:

今回の第8世界水フォーラムのテーマは「Shearing Water(水の分かち合い)」であった。
水を分かち合うことは、極めて困難である。水の奪い合いは、世界共通である。
ライバル(Rival)という言葉は、River から来ている。
同じ川岸に住む人々同士は、自分が生き残るための負けられない競争相手なのだ。
この水を巡る厳しい世界、戦国時代の日本で、奇跡の水の分かち合いが行われた。
1467年、応仁の乱が起こり、日本は下剋上の戦国時代に突入していった。
150年間、領土の奪い合いで日本列島は乱れに乱れた。戦いは、領土の奪い合い以外の場でも行われた。その時代、日照りが続くとすぐ干ばつに襲われた。各地の集落は渇水で苦しみ、川から水を少しでも多く取ろうとした。そのため集落間で争いが発生し、多くの血が流れた。
その時代のある戦国大名が、水の分かち合いシステムを誕生させた。それは客観的で合理的な技術に基づく「3分の1堰」であった。腕力の強い集落が水を独占するのではなく、水があるときには、皆が均等に水を享受し、水が少なくなった時には、皆が均等に干ばつに耐える。3集落の関係者を説得して、このような分水施設を造るにはよほどの説得力が必要となる。つまりガバナンスである。

この地方で人々を説得して、「戦うのではなく分かち合え」という指導力を持っていた。

その戦国大名とは、武田信玄である。この技術は江戸へ引き継がれ、近代日本にも引き継がれた。技術は洗練されて、日本各地にこの水を分かち合う分流堰が造られ、21世紀の今でも現役として役立っている。
世界各地には、大規模な水道遺跡が残されている。それらは強大な力で、大量に川から取水し、遠くの都へ導水した権力のシンボルとしての遺産である。
この3分の1堰は、それら権力を顕示する遺産と対極にある。人々が知恵と技術で喜びと苦しみを分かち合っていく。この3分の1堰は、規模としては小さい。
しかし、世界遺産に匹敵する価値がある。 (引用おわり)

 

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