教育220506
ストークスさんの書いた『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』を読んで、その公正な識見に感心した覚えがある。同時に、大変勇気づけられたことを記憶している。その後も、淡々と日本人に「自信を持て」と勇気づけておられた。そのストークスさんが4月に亡くなっていた。ご子息さんから連絡を受けた、という産経新聞論説委員の岡部伸氏が、次のような文章を寄稿している。引用して紹介したい。
引用:
ヘンリー・スコット・ストークスさん逝去(83歳)の報を電話で受けたのは、4月19日夜だった。50年以上親交がある外交評論家の加瀬英明さんは、物事を公正な視点で判断できる英国の知識人で、日本の最も良き理解者の一人だったと評し「現代のラフカディオ・ハーンだった」と、悼んだ。
1938年、英国サマセット州グラストンベリーに生まれ、オックスフォード大学修士課程修了後、英紙フィナンシャル・タイムズ初代東京支局長として来日。67年から英紙タイムズ、78年からはニューヨーク・タイムズでそれぞれの東京支局長を務めた。
2013年著書『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』に「いわゆる『南京大虐殺』はなかった」と記し、世界の既成概念に欧米人で初めて挑戦した。連載「話の肖像画」では、「日本が悪く、南京大虐殺はあったと信じていたが、滞日が長くなるにつれ、米国が押しつけた歴史観が誤りと認識できた。反日国家のプロパガンダに惑わされず、日本は、誇りある国になってほしい」と励まされた。
そして日本が侵略したというのは「連合国側の戦勝国史観」と言い切り、「日本はアジア諸国を白人支配から解放した」と訴えた。連合国軍総司令部(GHQ)の洗脳で「自虐史観」を植え付けられた日本人に自信と誇りを持たせる数多くの発言に、私は感動した。
ストークスさんが、「日本」を理解した背景に作家、三島由紀夫との出会いがある。三島は、米国に日本が「属国化」されたことを嘆き、「日本魂を護る」ため連合国戦勝史観の呪縛からの脱却を唱えた。ストークスさんが英語で書いた『三島由紀夫伝』は、英米などで名著となった。
戦後、急成長した日本の実態と日本人の行動原理を知りたくて来日したが、暮らすうち日本の洗練された文化に魅せられ、あき子夫人と結婚し、長く日本にとどまった。シャイで注意深く節度があり、あまりストレートな発言はしない。同じ島国である日英の共通点が、日本に順応できた理由だろう。
両国関係が急接近している今、ストークスさんを失ったことは誠に残念だ。父親として、一人息子のハリーさんに「私以上に文才がある。将来、活字メディアでも力を発揮してほしい」と期待していた。(引用終わり)
三島由紀夫との交流については、よく知らなかった。三島については、あんな残念な「最期」ばかりがフレッシュバックしてしまうのだが、今の日本の状況を先取りした三島の「先見性」に脱帽せざるを得ない。その「先見性」に気づかないまま、馬齢を重ねてきたことに忸怩たる思いがするのである。凡人の凡人たるゆえなのであるが、少しでも「リカバリー・ショット」を打ちたいものだ、と考えている。
時代の流れというか、プーチンのおかげで、危機が明確になり、日本の動き方によっては、有利な状況が醸し出されようとしているではないか。こんなシナリオは、どうだろう。
1−まず、時間をかけて、ロシアの孤立化を促し、徹底的に「無力化」する。経済制裁は、これから効いてくるはずである。専制主義的な統治形態だと、いつかは「悲劇」に終わる運命にあることを、中国人に知らしめることである。
2−中国から、欧米企業と共に、日本企業は撤退し、経済的打撃を与え、共産党支配を突き崩す。欧米も、中国の本質に目覚めたはずである。ウソとハッタリ、プロパガンダばかりの歴史ねつ造国家である。その際、朝鮮半島には関わらないことが大事である。これまた所詮「小中華」である。
3−それから先には、日本は、平和思想「八紘一宇」の精神に則り、「大東亜共栄圏」を構築する。今度は、欧米の理解を得て、「NATOアジア版」であってもよい。大東亜会議の「決議文」は、今でも参考になるだろう。実に、前向きで、いいことが書いてある。
大事なことは、ストークス氏の後を受けて、「連合国戦勝史観」を早く卒業し真っ当な「昭和史観」を確立していくことだろう。藤井厳喜氏の『太平洋戦争の大嘘』やハンキー卿の『戦犯裁判の錯誤』、フーバーの大書『裏切られた自由』などが出版されており、その他にもいろいろな取り組みはされているが、日本人には「戦後民主教育」の影響力が大きく、決定的な流れを作り出せていない。これからでも、伝統の「統治思想」である「三種の神器」、「民のかまどの物語」=「大御宝と大御心」、「和の精神」=「公の精神」を世界に広めたいと思う。