絶望的な日本社会

社会200908

体験を通して、理解できないことは、なぜ、という問いを繰り返し、根源的なところから考えてみる。そして、洋の東西を問わず、ヒントを求めてできる限り、智慧者からの情報を収集する。それを参考にして、また考えてみる。そうした行為を繰り返し、「知的生産技術」が出来上がる。

歳をとっても、わからないことばかりが多い未熟者だが、それでも、世の中のことをわかりたいと願う気持ちは衰えていない。自分の生きてきた現代を、どう総括すればいいのか、暗中模索している。

そして、わかる範囲でしか文章を書いていないが、世の中は、確実に不本意な方向に流れている。

 

昨今の報道を見ていて何とも絶望的な気分になってしまう。もうこの国は落ちるところまで落ちないと、這い上がれないのではないか。知人が「優秀な人が、日本で、政治家なんかになりますか?」と言っていたが、本当にこんなことでいいのだろうか。政治家に「知的生産技術」の持ち主は少ない。

政治家だけではない。かつて優秀だった官僚も、最近は志望する若者が減っていると聞く。特に、内閣人事局ができて以降、中央官僚のモラルの劣化が進行しているようだ。国を憂う気持ちが、いつの間にか失せて、自己保身のための「忖度」ばかりが、横行しているようにも見える。

また、株主資本主義が標準化した今日、日本にマトモな経営者がいるとも思えなくなってしまった。 

どこでも、どんな時代でも、優秀な人はいるのにそういう人がかすんでしまっているのではないか。

日本は欧米によって汚されちまった価値観から早急に離脱し「日本」を取り戻さなければならない。

米中覇権戦争に象徴されるように、時代の流れがおかしくなり、日本は日本で、閉塞感に包まれている現在、根源的な問いを立てる「異能の士」が求められているのではないか。

室伏謙一氏が、同じ視点から、憂いていますので、引用しておきます。

引用:

菅新総裁は、総裁選を通じて新自由主義に相当程度傾倒していること、経済、財政、行政、国際政治等について、基本的な知見すら欠けていることが、報道を通じて、明らかになりました。
そもそも現下の状況を考えれば、今日本が採るべき政策は、反緊縮、反新自由主義・反構造改革、そして反グローバリズム(脱グローバリズム)という基本的な視点・姿勢に立っているものである必要があります。
彼は、「縦割り打破、既得権益を取り払う、前例主義を排し、規制改革を全力で進める」と繰り返し言っていますが、どこかで聞いたようなスローガンですね。そう新自由主義者・構造改革推進論者がよく使うスローガンそのものです。この手の「打破」とか「既得権益が」とか、そして「改革」といった言葉・表現が大好きな連中が日本をダメにしてきたのです。

 

今なすべきは「縦割り打破」ではなく、まずは「改革」の総括のはずですが、自らの政策に反対する奴は左遷だ!なんて暴君みたいなのが上に来たら、「縦割り」も「横割り」も機能不全に陥っていくでしょう。 (P―D―C―Aを回すことはマネジメントの基本です)
しかしそうしたものをイメージだけで支持する輩がいる、ホント困ったものですが、「日本をぶっ壊せ!」的な改革の主張をしている人って、これまでの人生で何か失敗や倒産等の憂き目に遭ってきたのでしょうか。それがコンプレックスになっていたとしても、それをバネにして頑張ればいいのですが、自らの境遇を上手くいっている人達がいるせいにして、そうした人達を逆恨みして「既得権益」といったレッテルを貼り攻撃するのみならず、同類たちの日本攻撃の尻馬に乗り一緒になって攻撃する、要は、ルサンチマンなんです。(「外圧を利用して日本を変革する」が典型です)

 

これでは本当に日本破壊は進むばかりなります。「無責任な改革派」、「改革バカ」の誤った言説、事実を見ずイメージだけの大衆受けする主張、そしてそれを利用して私腹を肥やそうとする連中の言説にはくれぐれも騙されないように・・・(引用終わり)

 

今、『自発的隷従論』(ラ・ボエシ著)という16世紀のフランスの若者が書いた本が、注目され売れているそうだ。「圧政は、ひとり暴君だけのせいではない。その支配に自発的に服従し甘い汁を吸おうとする輩に支えられている」と書いてある。こんなことは中国共産党の専売特許と思っていたが、わが自民党も、似たり寄ったりの状況であるようです。人間も、人間が運用する組織も、人間が織りなす社会や国家も、16世紀から何ら進歩していないようである。

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