著作集より

「日本を滅ぼす教育論議」 岡本薫著   を踏まえての考察  

序章「マネジメント」の失敗

公教育のあるべき「マネジメントプロセス」

1.「現状」を正しく認識し、

2.現状をもたらした「原因」を分析し、

3.具体的な「目標」を設定し、

4.有効な「手段」を開発し

5.「集団意思」を形成し政策とする。

6.実施した手段については、評価を実施し、次のプロセスに進む。 

ところが、こういったマネジメントが意識されていないのが、日本の組織。

だから失敗を何度も繰り返す。 各項目ごとに具体的にどういう観点での

議論に失敗してきたかをみる。 

第1章「現状」の認識に関する議論の失敗

事実に基づいた議論がなされない。ムードに流され続けた。

OECDの統計 ・・・ 日本の生産性の低さを証明(特にホワイトカラーや金融部門)

生産性の高い分野は製造業の現場のみ

アメリカの対日経済戦略(アメリカ企業の国際競争力回復手段) 

・・・個別業界の商慣習を攻撃。また、「日本の労働時間を削減する」ことで日本の国際競争力を削ぐことができる。

                休日増や「ゆとり」概念導入

 内需拡大の押しつけはその後の国債地方債の加速度的累積をもたらした

IEAは日本の理科算数教育を評価。 

しかし国内では、暗記中心、知識偏重、思考力不足・・・自虐的偏見

個性や独創性を重視。しかし個性は教育できるか。むしろ強制することからそれに反発し個性につながるのではないか。独創性は何もないところからは生まれない。99%の知識と1%のひらめきである。

「ゆとり」とは、学ぶべき内容と授業時間数の比率。それぞれ3割、2割削減。実質1割。

「詰め込み教育の廃止」は子供たちが「学ぶ意欲」を持った後に初めて可能なのに・・・

地方は臨界期に「ゆるみ教育」になってしまっている。

(大都市圏は中高一貫校が週5日制すら無視、大学受験に対応している) 

日本人の教育観

1.教育で社会問題すべてが解決すると信じる「教育教」信者 従って教師は聖職

2.教育の目的を、技術・技能といったものより心や人格の陶冶に置く

3.誰でも違った才能があるはずという平等主義 

その結果

1.学校の期待されるものが極めて大きく「青少年問題」はすべて「学校教育問題」である。

2.戦後日本の投資額は大きく、初等中等教育に国民所得の5%弱を掛けていた。(しかし現在では3%を割っている)・・・製造現場の競争力の源泉

3.教員の社会的、経済的地位が高い。

4.教育は経済問題ではなく政治問題である。教員は「俗な経済」にアレルギーを示す。

5.教育投資というのは、学校では認知されにくい。(フリーターでは子育てできない) 

『生きる力』だの『豊かな心』といった誰もが反対できないスローガンしか俎上に乗らない。従って不毛な議論の積み重ねにしかならない。(具体的行動を触発しない言葉は実務上は無意味であるという認識が欠けている) 

教育論議が生徒や保護者等からのニーズではなく、サプライヤーオリエンティッド(供給者中心)な議論しかされてこなかった。 

バラバラな価値観を正しいものとして振りかざす人々(例えば有識者会議)の「べき」論が横行。しかも極めて部分的な分野で(例えば小学校の英語教育、全体感なき議論) 

第2章「原因」の究明に関する議論の失敗

1.原因を究明し、それを除去するという姿勢があるか?

ショッキングな事件  すぐに「心の教育」「教員の研修充実」とくる・・・

因果関係の分析などされずに、追加教育メニューが出てくるのみ・・・何も変わらない・・・

追加するのであれば何を減らすかを特定すべき。上は通達を出して仕事をしたつもり、下は変える気がないから抽象的文言で救われている・・・ 

日本の高校は世界的に見てとても特異な存在

1950年代    普通科20%職業科20%  計40%の進学率

2006年     普通科60%職業科35%  計95%の進学率

3割の生徒しかカリキュラムについていけない・・それでも高校といえるのか?

職業科は末期的症状ではないのか。(読み書き計算の不十分な高校生は普通科で) 

2.「行われていること」と「結果」の関係は認識されているか?

スクールエートス(学校内で自然に共有されている気風、価値観、意識等)このエートスを破壊するのは生態系破壊に等しく取り返しがつかない事態を招来する可能性もある

 私が、「生活実感のある改革」をめざしている理由もここにある 

部活動等の特別活動・・・協調性 「 One for All  All for One 」の精神

同一ポテンシャルの信仰・・・勤勉性(努力は必ず報われる)

資源の少ない小国意識・・・進取の気性 技術立国 人材育成に重点投資

             工学士がアメリカより絶対数で勝っている。

 質の高い「一般人」を育成できているという認識はあるのか。

 その「一般人」こそ戦後の経済発展の原動力である。 

3.少子化のもたらす結果は認識されているか?

18歳人口の急減

 大学は入学者を減らしてレベルを維持するか、 

 学力低下を我慢して、入学者数を維持するか、  どちらか一つ 

第3章「目標」の設定に関する議論の失敗

1.目的と手段は区別されているか・・・重層的な関係が整理されているか

2.達成度を測定できる「具体的目標」は設定されているか。

3.「すべての子供たちに必要なこと」は特定されているか。

   行動を社会のルールに適応させること

   社会生活していく上で必要な基礎学力とは何か

・  ・・通産省の「社会人の基礎力」の概念は重要

・  ・・更にエリート教育の必要性について論じられるべきであろう

     新自由主義の経済思想はエリートの労働市場のみに

適応させるべきではないか。成果主義の軋みが民から聞こえる。 

第4章「手段」の開発に関する議論の失敗

1.心や意識のせいにしてシステムの改革を怠ってはいないか。

2.リスクマネジメントという発想が欠如していないか。

3.日本独特の労働市場システムは改革されようとしているか。

「学習して能力を高めた無職者」が「その人よりも能力が低い有職者」を押しのけて就職できるのが、生涯学習社会。ここでは「いつでも、どこでも、誰でも学べる」と同時に、学習不足で他人より能力が劣った場合は「いつでも、どこでも、誰でもクビにされる」社会である。 公務員に風当たりが強くなる理由がここにある。

「工業の時代には道路や港湾が大切だった。新しい時代には人間そのものの能力を継続的に高める職業訓練や研究開発が、インフラとして非常に重要になる。」神野直彦

4.日本独特の大学入試システムは改革されようとしているか。

   高校教育の素人(大学教授)が高校教育の達成度を測定しているこの不思議。 

第5章「集団意思」の形成に関する議論の失敗

1.日本人には同質性の信仰があるため、教育論議が進まない

「三匹の子豚」「アリとキリギリス」の童話は、日本では話の筋が変えられる

弁護士の守秘義務にプロとは何かを考える。

フラテルニテは異質な他者を尊重すること(博愛ではない) 

2.ルール感覚は充分に維持されているか。

   水戸黄門に代表されるお上頼みの文化をつくってしまった。 

3.自由と責任にかんする感覚は充分に維持されているか。

―上が決めるべきことを決めない弊害が大きい

―アカウンタビリティとは「法律や契約によって責任を負っている相手方に対し納得できるような説明ができる状態を維持していること」

―コンプライアンスとは「組織内部の規範やルールを、外部の法律や社会常識等の規範に一致させること」

=場合によっては、外部の法律を変える必要もある。教育界はむしろ規制を大きく撤廃すること、文部科学省の「世迷い言からの離脱」から未来が見えてくる。

=学校現場では付加価値は先生と生徒の接触現場でしか発生しない。生徒を一番見ているのも先生。しかし残念ながら先生は世間に疎すぎる、また世間のことを勉強していない。もっと俗っぽくする必要がある。保護者は子供に自立を求めている。最終的な自立は経済的自立ではないか。

=1990年代のアメリカとの構造協議以降、「年次改革要望書」追従路線が続いているが、日本の教育に関しては独自のスタイルを模索すべきである。戦後の経済成長の成功要因が「教育」にあったことは多くの識者が認めているところである。不易の部分はどこか、コンセンサスを得る必要があろう。その上での改革である。 

終章「国の基本戦略」の構築に関する議論の失敗

日本をどのような国にするのか、岩手県をどういう県にするのかという基本戦略が決定的に欠けている。戦略である以上、「何をめざすか」と同時に「何を捨てるか」が明示されていなければならない。 

その他参考になる話: 

学校教育の質を決定付ける3要素

1.カリキュラムの質    生徒の能力にフィットしているか、という意味で考察

2.教員の質        一定のレベル以下は排除できるシステムが肝要(生徒本位)

3.スクールマネジメントの質   スタートしたばかりの段階であるという認識が大切

                 日本経営品質賞のフレームワークは有効な手段 

日産のマネジメントの基本的問題点  ゴーン社長の印象

1.用語の定義が統一されていない

2.販売不振の原因が究明されていない

3.目的と手段が混同されている

4.目的が抽象的で具体性を欠く

5.指示が具体性を欠き、精神主義

6.予測と希望が混同されている 

民でも官でも日本的組織の特徴が、「マネジメントの不在」ということ

失敗を生かせない組織になっている。

失敗を認めること=責任を取ること=辞表を提出すること になってしまう。 

P−D−C−Aのサイクルをまわすということは失敗を許容するということ。

仮説をたて、やってみて、それを振り返り、不具合を調整する・・・

小さな失敗のうちに修正作業をして大きな失敗にさせないというコントロールをすることがマネジメントなのである。チャレンジ精神にあふれた行動重視の組織風土をつくること、事実にもとづいて上下の隔てなく自由闊達に議論すること、がマネジメントが生きる前提である。 

太平洋戦争の戦略分析をした「失敗の本質」は現在も「今日的課題」である。

 

まえがき 

進路という言葉を聞いたとき、真っ先に浮かぶのはシュリーマンの計画的人生である。

子供の頃、父親からよく聞かされていた「ホメロスの物語」によって、トロイの遺跡は必ず存在すると確信する。しかし、遺跡の発掘は膨大な資金を必要とする。そこで彼は、

最終目標を「トロイの遺跡発掘」、中間目標を「富の蓄積」、最初の目標を「貿易商人として成功すること」に置き、そのために語学の習得からスタートした。結果はご存知のとおりである。

「志」の大切さを教える逸話であるが、凡人はなかなかこのようにはいかない。私など50歳を過ぎてもなお「自分さがし」をやって、家族に迷惑をかけている。若い人たちにえらそうなことを言える立場ではないが、唯一自慢できることがあるとすれば、履歴書にストーリーがあることだろう。自問自答し、自分の責任で選択してきたマイウェイである。

さて、皆さんに必要なことは「仮説を立てる」ということだろう。自分と対峙してもなかなか自分が何をやりたいのか、結論が出ない人も多いと思う。そのとき、仮説を立てて決め撃ちするしかない。準備に時間がかかるからである。間違っていたらやり直せばいい。そこにはストーリーがある。特に若い頃は道草も肥やしになることも多い。迷ったときは自分にとって苦労が多いと思う方を選択したほうがよい。「若いときの苦労は買ってでもしろ。」というではないか。

スポーツの世界ではイメージトレーニングというのがある。勝った時の自分をイメージしながら自分に自信をつけるのである。人生も同じで成功した自分の姿を思い描き、どういうプロセスでそうなりうるのか考えてほしい。そして何よりも「志」をもってほしい。どうせ自分なんか・・・と諦めるのが一番いけない。こうありたいと思うことからすべては始まる。「人はその心で考えるごとき者となる。」(ダビデ)のである。

 

図書館報「桑の実」校長挨拶     「守・破・離」 

能楽の中興の祖、世阿彌の書「風姿花伝」に芸ごとの習得への心構えが書いてあるそうだ。「そうだ」というのは、実は私は原典を読んだことはないからだ。しかし、世の中へ出て、処世術として度々引用される考え方であるし、事実、現代の若い日本人を見ていて、一番欠けている精神ではないかと思うのでここで触れてみたい。

体験談から入ろう。昭和49年(1974年)旭硝子という会社に入社した。最初の配属先は横浜市鶴見区にある京浜工場労務課であった。折からのオイルショックで入社早々「君たちを採用したのは間違いだった。」といわれた。ガラス産業は鉄鋼業等と同じくエネルギー多消費型産業であり、石油価格の高騰を製品価格に転嫁できず、ほとんど利益のあがらない状況であった。 入社教育で各現場を回り、3ヶ月後労務課に配属された。三交代勤務を肌で感じるため現場の人と同じように三交代を経験し、舎監(生活指導・相談員)として現場の人たちの独身寮に入った。夜勤はやっぱり朝方強烈な睡魔と戦わなければならなかった。そして寮では、同年輩や年下の人たちと夜ごと酒盛りをしていた。興に乗れば、夜の街に繰り出すこともたびたびあった。舎監が一番生活指導が必要だったかもしれない。

そんな生活をしながら、ある現場の会合で、くだらないことを発言するメンバーがいて「そんなことを言っているから、○組は歩留(良品の割合)が悪いのではないですか。」とやってしまった。親しみを込めて半分冗談でいったつもりであったが、その場がしらけてしまったのを感じた。案の定、後で三交代主任に呼ばれて注意を受けた。「私達は今、歩留の向上に命をかけているんです。現場のそういう心情を理解してください。」

労働組合との窓口業務をやっていたから、省力化の会社提案があると現場へ行って、会社申し入れ文書のたたき台を作成した。見事に修正された。原文の跡形がないぐらい筆を入れられた。修正されるのはまだいい方で、場合によってはいろいろ質問されて返答できなければ「詰めが甘い。やり直し。」と返却される。ありとあらゆるケースを考えて、会社提案がスムーズに理解してもらえるように準備する。わかりやすい文章、論理的な展開、労使関係で積み上げてきた基本的考え方の理解等、いじめにも近い形で鍛えられる。

そうして現場に馴染み始めたかなという時期に突然上司に呼ばれて、「本を読んでいるか。」と尋ねられた。大学にいた頃、経済学徒にはホットハートアンドクールブレイン(暖かい気持ちと冷静な頭脳)が大切ということを強調された。人々の幸せに貢献するという熱い思いがなければ経済学を学ぶ資格はないが、それだけではダメで事実を事実として冷静・沈着に受け止め判断できる資質を養わなければならないということである。当時の私は、クールブレインの方が、手抜きになっていると思われていたにちがいない。「給料の5%は本代に使え。30歳40歳になってつかいものにならないぞ。」と一喝された。現場になじむことも必要であるが、同時にそれを批判し改善していけるだけの知識も必要だ、ということである。当時人事部という職能部にいたので具体的には人事制度の運用について、それなりの見識を磨いておけという意味であったように思う。自分なりの見解は、必要となる時期が必ずやってくるのでそういうポストになるまで暖めておけという忠告である。現場感覚の習得、制度の歴史的背景やベースとなる考え方、労働法の知識等は風姿花伝流にいうと「守」の部分である。ひととおり「守」の域ができてきたら、「破」の域の準備もしていかねばならない。

なぜ、こんな昔の体験談・失敗談をしているのか、君たちにわかるだろうか。どうも、現在の日本の若者が、やるべき時期にやるべきことをしっかりやること、特に「守」の時期の大切さを理解していないように感じるのだ。

「給料の5%は本代に使え」という言葉を君たちはどう感じるだろうか。「余計なお世話だ」という人もいれば、「業務命令ですか」と聞き返す人がいるかもしれない。どうもそういう若者が多いような気がする。当時の私は、上司の思惑を推量し、自分のために忠告していただいていると解釈した。そういう素直さがあった。今思い返すと、上司に誘われて断ったことがない。例え、予定が入っていてもそれを断ってもおつきあいするようにした。飲みながら聞かせてもらえる先輩の体験談が、自分の血となり肉となるように感じたからである。「守」の時期は「まねぶ」わけであるから、絶対にこういう体験が必要だ。ところが、最近の若い人にはこういう感覚が少ないようだ。ゴーイングマイウェイの人が多い。子供時代から「群れて遊ぶ」ことが少ないからではないかと思う。本気で組織にとけ込み、その組織で存在感を発揮して快適に職業人生を全うしたいと考えているのか疑問に思う若者が多い。人権意識が浸透してきているのか、官民を問わず同じ傾向である。

24時間戦える企業戦士であれともいわない。私生活を犠牲にしてもがんばれともいわない。しかし、少なくとも自分の技術や知識習得のため、あらゆる機会を利用してレベルアップを図ろうという意欲は大事である。読むこと・聞くこと・考えること以外に知的生産はできないのである。

日本の企業では、事務技術職という大卒・院卒も現場の高卒技能職も同じ菜っ葉服を着て、同じ社員食堂で同じメシを食う。欧米の企業はこんなことはまずあり得ない。ここが日本企業の強みである。技術と技能は生産性をあげていく上での車の両輪である。お互い意見交換しながら、よりよい生産工程へとたゆまぬ改善をしていく。それが日本の競争力の源泉である。外から工場の煙の色を見て、何番のバルブを絞めた方がいいと電話してくるような職長が日本にはいるのである。そしてその職長は、最低限日本語でコミュニケーションができ、学ぶ姿勢・考える習慣があり、チームプレーのできる人なのである。だからこそ、技能を習得し専門性を高め、組織からなくてはならない人とされ、職場でいきいきと働き続けられるのである。勘が働くという領域まで技能レベルが達しているのである。

今、2007年問題が話題になっている。団塊の世代が来年から定年で続々とリタイアしていく。その技能の伝承が果たして可能かという問題である。マニュアル化できる形式知はせいぜい3割といわれている。残りは暗黙知で、人から人へとしか伝わらない。世阿弥のいう「守・破・離」の世界である。技能は、芸能や芸術と同様、師匠と弟子という日本語がぴったりの「まねび」の世界である。「基礎固め」のできた若者をいかに多く製造現場に送れるか、それが21世紀の日本の国力を決定するといっても過言ではない。

さて、その後中間管理職になると、制度を時代の変化にあわせて運用していかなければならない。それは、従来の考え方の否定もありうるのである。営業に仕事は変わっていたが、やはり営業でも国際化の波は押し寄せ、販売システムである特約店制度(問屋制度)の大幅な見直しを推進していくことになった。環境変化に対応していかないと企業は生き残れない。「破」の時代であったように思う。

更に、制度の運用を離れて、マネジメント(会社経営)とかガバナンス(会社支配)という立場からものを考えざるをえない部署に配属された。「離」といえる時期である。こうなると、「守」や「破」の時期に経験したことに加えて、人生観・歴史観の勝負である。会社の対応策に「何か変だ。」と感じつつも、勉強不足のせいでしっかりした論拠で代替案も示せないまま、希望退職に応じて会社を去った。退職後もいろいろ本を読み自分の考え方をまとめてきた。やはり自分の直感は正しかったという思いはあるが、新幹線の後ろ向きの座席に座って景色をながめているようなもので、退職後考えがまとまっても万事休すである。けれども、自分の経験を生かして活用していく道はないかと考え、この道を選択した。できるだけ、君たちに社会人として経験したことをありのまま伝え、これからの長い人生の参考にしていただけたらと思っている。

 

部分最適ということ          平成18年9月7日

大きな会社の場合、事業部制になっていることが多い。事業部長はその事業の責任者であり、その期の収支責任ばかりでなく、将来にわたって安定した収益をあげていくための方策を取らなければならない。そのために売上予算・実績対比に目を通し、製造原価実績に注視するばかりでなく、外界の環境変化を見すえながら投資計画を立て、人材育成に励み、中長期的にも発展できるような絵を描きそれを実行する。大抵の場合、成長路線を歩むというシナリオが描かれる。組織が拡大しなければ、事業部内メンバーの処遇もままならなくなるという人事圧力を事業部長は負っている。こうして組織というのは、絶えず拡大路線の「部分最適」の意思決定をしがちになる。

経済が右肩上がりの時代はこれでもよかった。少々の無理な投資でも市場の拡大で、時間とともに投資額は吸収できた。しかし、安定成長の時代になると従来のやり方を踏襲している会社の業績が極端に悪くなった。総合商社、総合電機メーカー、総合スーパー、総合建築業(ゼネコン)等、総合と名の付く会社の不振が表面化した。いずれも事業部制を採っていた会社群である。業界のなかで、シェアが3位4位であっても、だからこそ投資をしてトップ奪還をめざしがんばったわけである。しかし、投資倒れになり収益をかえって悪化させたことが多い。3位4位のシェアということは、トップシェアの会社に比べて何か弱みがあるはずである。その冷静な分析もなく、やみくもに突っ走る「やり手」事業部長が会社の足を引っ張ったのである。

もちろん、トップの責任が一番重い。投資判断などは最終的にトップの裁量である。しかし、撤退あるいは現状維持の決断は難しい。いろいろな事業部のなかで、ヒト・モノ・カネを重点投資し会社の方向性を決めていくわけであるが、「情」において忍びがたい判断もある。限られた資源を最大限に効率よく活用するためには、どこかで非情な判断が必要だ。戦略とは捨てることなのである。また、社内の組織風土や価値観に習熟し、どういう言動をとればどういう影響を与えるか、そこまで計算しなければ改革は失敗する。

現在の校長という立場でなぜこのようなことを書こうとしているのか、ご理解いただけるだろうか。県教委という組織が、戦略を策定しそういう非情の決断をすることに非常に不向きな組織になってしまっていると感じるからである。学校は、先生と生徒の接触現場でしか付加価値は生まれない。付加価値を最大にするために、先生の多忙感解消に向けて校内で協議を重ねているが、どうも多忙化の要因は外部に由来することが多い。高体連、高野連、高文連、高教研、校長協会等の各種行事、県教委や教育センターの調査・会議・研修等 みんな前例に従って一所懸命仕事をしている。それがどうも「部分最適」になっているような気がしてならない。高校進学率が98%を越えている。それがどういうことなのかを理解すれば、形式的な会合を繰り返している場合でもあるまい。しかるべき方々の前向きの議論を期待したい。

 

PTA会報校長挨拶  「マコトノクサノタネマケリ」 

必修科目の未履修問題では、生徒のみなさんには本当に迷惑をおかけしました。また、保護者のみなさんにもご心配をおかけいたしました。改めてお詫び申し上げます。

さて、今回の件でいろいろな状況が見えてきました。中学校で日本史を必修とし、高校では世界史を必修として「国際化」社会を生きるための視座を提供するという学習指導要領の意図は、真に尤もなことと思われます。「すべての道はローマに通ず」とまでいわれ繁栄したローマ帝国が内部崩壊した理由やキリスト教徒がイスラム世界におこなった十字軍という蛮行、近代市民社会の原点となったフランス革命の社会的・経済的背景、ヒトラーが「民主政治」による選挙で合法的に権力を奪取した事実などは、現代を生きる上で多くの示唆を与えてくれます。にもかかわらず、普通科では統合前からこういうことが行なわれていました。

一方で、人生の設計図を描きかけている若者に、大学受験という第一関門だけでもクリアさせてやりたいという先生方の気持ちもわからないではありません。事実、現在の3年生は就職指導は9割がた終了し、推薦入試合格へ向けて、小論文指導や面接練習など本当に細やかな進路指導をやっています。こういう環境にどっぷり浸かってしまうと、生徒の明るい笑顔を見たいがために、少々の無理をしたくなるのも人情でしょう。進学校といわれる多くの高校で発覚したこの異常事態が、教育の世界のゆがみを象徴しているように思えるのです。

文科省の指導要領に従順につき従ってきたゆえの岩手県の学力不足問題、少子化のなかでなりふりかまわず生徒に擦り寄る大学の入試制度、ホンネのところでは高校の「予備校化」を望む多くの保護者たち・・・校長としてどうすればよかったのか、未だに解を見つけられずにいます。ただ、宮沢賢治の精神歌にあるように「マコトノクサノタネマケリ」という学校でありたい、原点に立ち返って、もう少しじっくり考えたいと思います。

 

生徒会誌「轍」原稿          幸せな人生を歩むために 

生涯賃金とは月例賃金と期末手当(賞与)と退職金の3つの合計をいう。一流といわれる会社で働いた場合、大卒で4億円、高卒で2,8億円ぐらいである。一流企業の名前を冠していても、製造子会社の場合は、この7掛け即ち大卒で2,8億円、高卒で2億円ぐらいである。地方公務員の場合も、大体これと似たようなレベルである。地場中小・零細企業の場合は、これより1〜2割ダウンするようである。今、能力主義とか成果主義とかいって、個人ごとの給与に貢献度に応じた差異をつけようとしているが、ここ2〜3年で大量退職する団塊の世代は、概ねそれぐらいの金額になると思う。

ところが、非正規社員の場合、例えば時給750円の仕事が40年続けられたとして、

750円×8時間×25日×12ヶ月×40年=7,2千万円となり1億円にも満たない。

実際のフリーターの生涯賃金は5千万円前後といわれている。

生涯賃金と生活水準は必ずしも一致はしない。一流企業のエリートは、辞令一枚でどこに飛ばされるかわからないし、生活費は自己啓発費を含めてそれなりにかかる。その点、田舎暮らしの方が、土地代を含め圧倒的に生活費は安価ですむ。5〜6反の田畑を持ち、三世代で同居し、夫婦共稼ぎしておればかなりゆとりのある生活はできる。しかし、一家の大黒柱が一生フリーターでは、子供の教育費は捻出しずらいと思う。

お金は手段であって目的ではない。しかし、必要な生活資金を自分で稼ぐということは快適な人生のための必要条件であり、自立の原点である。

もちろん、こういう生涯賃金という概念は年功序列賃金の時には、モデル賃金で簡単に比較できたが、最近のグローバル化のなかで一概にこうしたことが言えなくなっていることも事実だ。企業は国際競争力を常に念頭に置かざるをえなくなっており、従って業績がいいときは一時金である賞与で従業員に報いるという傾向が強まっている。しかし、人事担当者の頭の中に、かつての生涯賃金のベースが刷り込まれているはずだ。能力の向上とともに処遇を上げていくということをしないと、これから労働力人口が減少していく日本にあってはおそらく会社としてやっていけなくなるだろう。長期雇用を前提とした正社員ならば、ある程度生活の目安としてモデル賃金を明示してほしいのも当然の要求である。ただし、それに見合う仕事能力の向上を要求されるのはいうまでもない。

さて、付加価値(売上−仕入)に占める人件費の割合を労働分配率というが、大企業の平均は50%台であるのに対し、中小企業は70%台である。先ほど大雑把な生涯賃金の目安を示したが、中小企業の処遇が大企業ほどよくないのは、経営者がケチなのではなく、処遇しようと思ってもできないのである。「儲からないから出せない。」のである。皆さんは100円ショップに行ったことがあるだろう。配送経費や流通経費を差し引いたら50円ぐらいでメーカーは出荷している。こんなものまでよく50円で作れるなあと感心する。安い人件費を利用して開発輸入したものが多い。このようなコモディティ(汎用品)は、顧客の指し値に対応できるかどうかの勝負である。価格競争に巻き込まれては、なかなか付加価値を付けることは出来ない。多くの中小企業が苦しんでいるのは、その会社にしかできない物、それを造り込む技術がないからだ。日本の中小企業のなかには、独自の技術で何十%もの世界シェアを確保しているたくましい会社もある。そして、できれば君たちの力で地元企業をそういう会社にしていって欲しいと思う。地元企業の方々から、「もっと尖った人材がほしい。」といわれているのは、こうした背景があるのである。私は、かつてケネディ大統領の就任演説を援用したお話をした。

「Ask not what your company can do for you, ask what you can do for your company.」

こういう気構えの若手を経営者は望んでいるのであり、また、こういう気構えで仕事をし続けると不況だリストラだと心配することは何もない。その会社の独自能力の一翼をになっておれば、ライバル会社なら放っておかないだろう。

進学する人もいずれ社会人になる。だからこそ千厩高校で私やいろいろな社会人講師の人から聞いた話を今後も折りに触れて反芻してほしい。

「まず挨拶をしっかりすること。人間関係はどんな立場、業種でも避けて通れない。」

「3年以内の退職はキャリアに入らない。3年間は辛抱しろ。」

「40歳ぐらいになって履歴書にストーリーのない人は会社から相手にされない。」

「少々の知識よりも、学ぶ姿勢・考える習慣が身に付いているかどうかが大切。」

「社会では、読み書き計算を中心とした基礎学力と、何ごとにも前向きな姿勢や困難にぶつかっても考え抜こうとする態度、コミュニケーション能力の3要素からなる社会人基礎力、その上に、専門的な職業スキルが必要である。」

そして、社会で経験を積み、自分の技術に自信が持てたら、起業するぐらいのエネルギッシュな人材がいてもいいと思う。その場合、最初の10年間は他人の3倍働くぐらいの覚悟が必要だ。いろいろな挑戦者の話を聞く機会があるが、成功者はいずれも立ち上げの時の忙しさを楽しむぐらいの楽観者である。企業内にいても、飛び出して起業しても、要は社会人として身に付けないといけないことがいっぱいある。ひとつの技術・資格だけで一生快適に暮らしていけるという世の中ではなくなった、ということだけは肝に銘じて欲しい。

 

卒業式式辞 

 本日、ここに、多数のご来賓の皆さま並びに保護者の皆さまのご臨席をいただき、平成十八年度卒業証書授与式を挙行できますことは、誠に喜びに耐えません。衷心より御礼申し上げます。

今まさに、この山仰台から旅立とうとしている 242名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。心からお祝いを申し上げます。また、保護者の皆さまにおかれましても、来し方を振り返りますと、感慨も一入のことと存じます。改めてお祝いを申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん、21世紀は「環境の世紀」といわれています。国連の「気候変動に関する国際パネル」(IPCC)で、地球が温暖化しているのは疑問の余地がないことであり、その原因は二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスである可能性が極めて高い、とする報告書が発表されました。

このままの状態を放置すると、21世紀の終わりには世界の平均気温が4度C上がり、最大で海面が59センチ上昇すると予測しています。これらの科学的根拠について云々する知識を、私は持ち合わせていません。しかし、日常的な実感として今年のような暖冬異変があったり、また、海水温や海流の変化で漁場が変わってきたり、作物の旬の時期がずれてきたという報道にも日々私たちは接しています。今こそ私たちは宇宙船地球号の住民として、更に大きな観点で、ものを考えていかなければならないのではないかと思っています。そうしたときに、日本の、しかも田舎の価値観が、これからの時代の世界の指導原理になりうると考えています。今はアメリカの時代です。しかし、アメリカの指導原理が世界すべてに敷衍できるものではないことが、だんだんはっきりしてきました。多極化の時代を経て、君たちの生きているうちに、アジアの時代になってくると思います。そのときに、私たちの価値観こそが、指導原理になっていかなければならないと私は思っています。そして、君たちのなかから世界の指導者が出てくることを期待しています。

 皆さんは「もったいない」という日本語の語感がわかるはずです。英語の、「セービング」という一語でかたづけられない深さと幅をもった言葉です。ケニアのマータイ環境副大臣が、この言葉を理解して日本文化を激賞したということで話題になりました。この言葉の背景には、里山の文化思想があります。自然と共生してきた日本の2千年の、農耕民族としての歴史文化があります。神道に、仏教や儒教を融合してきた宗教観・倫理観があります。

また、日本のエネルギー効率は、アメリカの4倍、中国の10倍といわれています。昭和の時代に2度のオイルショックに見舞われましたが、その都度、私たちの先輩は創意工夫を重ね、技術革新に取り組んでノウハウを蓄積してきました。高度成長期に公害という大きな犠牲を払いましたが、それを克服するための技術開発を進めてきました。その結果、日本の環境技術は世界のトップレベルになっています。皆さんには、そういう技術先進国に住んでいるという自覚を持ってほしいと思います。 

 さて、私は度々国際化の時代である、といってきました。競争が激しくなって、地元企業も生き残りをかけて必死に努力している、という話をしてきました。今のところ、それが中央と地方の格差、大企業と中小零細企業との格差、正社員と非正社員との格差になっています。こんな状態が固定化していいはずがありません。では、どうすればいいか。

 私は、その解答は「人」にしかないと考えています。何ごとにも積極的に挑戦できる人材、困難にぶつかっても考え抜く力をもった人材、コミュニケーション能力の高い人材、が望まれています。また、異文化にも寛容の精神で一旦は受け止め、折り合いをつけていく知恵が大切です。日本という国は古来そういうことをしてきた国柄です。寛容と協調と共生、これからの世界のリーダーに必要な要件のすべてが、私達の遺伝子に組み込まれています。そのことを忘れることなく、おおいに大志を抱いてください。

日本の「クニのカタチ」は、農村に原点があります。そこには、「生かされている、」という謙虚な姿勢があります。「おかげさまで、」という感謝の心があります。「おたがいさま、」という相互扶助の心があります。こうした心をもった君たちに、多いに期待させてもらいたい。自信をもって進んでください。

 皆さんの今後の進路は、さまざまに分かれます。どのような道を選択するにせよ、これからは一生、勉強です。知識と知恵こそが価値を生む時代です。この「知価社会」は、即ち「生涯学習社会」です。学ぶ姿勢と考える習慣、個人を磨く大切さを忘れないで欲しい。そして、皆さんを育んでくださったご両親、ともに学んだ学友、このふるさとを、即ち皆さんの原点を大切にしてください。

最後に旅立ちの日に当たり、皆さんがそれぞれの進路で、更に飛躍していくことをお祈りし、お別れの言葉にしたいと思います。

ご来賓の皆さま、本日はご多忙の中、ご臨席を賜り誠にありがとうございました。今後とも本校教育の発展のために、ご支援・ご協力を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。

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