著作集より

入学式式辞 

本日は、ご来賓の皆様並びに多数の保護者の方々のご列席のもと、平成17年度入学式をとりおこなうことができますことを、心から御礼申し上げます。

本年度は 246名の新入生を迎えました。皆さん、ご入学 おめでとうございます。

また、保護者の皆さまにおかれましては、いつくしみ、手塩にかけられたお子さまがここまで立派に成長されたことに、感慨もひとしおのことと推察いたします。心よりお祝い申し上げます。

さて、高校生活の入り口にいる皆さんはこの3年間をどのように過ごそうと考えているのでしょうか。現在、世の中は経済的にいわゆる中流といわれる階層が二極分解しているといわれています。何ごとに依らず、勝ち組とか負け組とかの表現が、いとも簡単になされるという風潮があります。そして、親の経済格差が子の学歴格差になり、これがまた経済格差に繋がっているという説もあります。皆さんはどのように感じていますか。

私は、そのような傾向のあることは事実として認めながらも、今の日本社会はまだ機会の均等は確保されているのではないかと考えています。どのような環境にあっても努力次第で、皆さんの夢も希望もかなえられる余地が充分あると考えています。就きたい職業について、充実した人生を歩む足がかりにしていただくために、学校も努力を惜しみません。

私は、学校の目的を「幸せな人生を歩むための基礎固めをする場所」と定義しました。それでは、一体 基礎固めとは何でしょうか。 

私は、次の3つの点にあると考えます。

一つは、新聞や雑誌を読みこなせることだと思います。社説やコラム記事を読んで、自分なりの見解を持つことができるということです。そのためには、幅広い知識と論理的にものを考える必要があります。

生産技術科、産業技術科、普通科とも一見遠回りな、直ぐに役立たないような授業があるかもしれません。なぜこんな勉強をしなければいけないのか疑問に思うことも一度や二度ではないでしょう。しかし、そうした授業はじっくり後から効果が表れてくるものです。いろいろな知識のネットワークが、ものを考えるときに必要になってきます。授業だけは、予習・復習をしてまじめに取り組んでもらいたいと思います。 

二つめは、わからないことをわかろうと努力する姿勢をもつことだと思います。皆さんは義務教育を終えて、学問の入り口にさしかかろうとしています。高校はそういうところです。学問はやればやるほどわからないということがわかってくるものです。そして、そのことが人間を謙虚にします。常に謙虚な姿勢で学び続ける態度こそ学校で修得すべきだと考えます。ましてや変化の激しい時代です。時代環境に適応していくためには、「考える習慣・学ぶ姿勢」こそ高校で身につけるべきであります。 

三つめは、人間関係を築いていく能力が鍛えられていることだと思います。学校は授業のほかに、部活動や生徒会活動等いろいろな組織活動の場を提供しています。単に相手に勝つとか、技術を磨くというだけに止まらず、そうした場で、自然自然に人間関係をうまく取り結んでいく能力が鍛えられているわけです。どんな立場になっても、どんな仕事についてもこの能力は、人間が生きていく上で必要不可欠です。本校の校訓である「文武両道」の意味するところを是非感じ取っていただきたいと思います。 

次に、皆さんが入学したこの千厩高校が、どういう学校であるのか、また現在どういう学校になろうとしているのかについて、お話をします。 

一つは、学校は勉強をする場所であり、学校の命は授業です。先生方には「わかりやすい授業」をするようにお願いしています。誰もが授業についていけて、かつ効率的に理解を深められるという講義が理想ですが、実際にはかなり困難を伴うものと考えています。そこで、生徒の皆さんから年1回、アンケートをとり授業のスピードや説明の仕方について先生方にフィードバックしていきます。生徒の皆さんの1日1日が 充実感のある学校生活であるよう工夫していきますが、皆さんもある程度言われたとおりの予習・復習をすることを前提にしています。ついていけないという事態にならないよう、努力してください。 

二つ目は、部活動の充実ということです。運動部でもいいし、文化部でも結構です。皆さんには、クラブに積極的に参加してくださいと申し上げたい。難しいことは差し置いても、勉強以外の何かに打ち込むという体験は、それ自体で貴重です。チャレンジしてみてください。君たちの汗と涙が、きっと自信になって帰ってくるものと思います。 

 三つ目は、日本語教育の充実ということです。世の中は、国際化・情報化しています。だからこそ、現在、日本語をしっかりと身につける必要があると考えています。

国際化すればするほど、日本語で考えて「日本というもの」を外国の人たちにわかってもらわなくてはなりません。情報が多ければ多いほど、日本語で考えて情報を「選択する能力」をつけなければなりません。にもかかわらず、皆さんの日本語は、総じて貧しくなっています。読む・聞く・書く・話すのすべてにわたって充分な訓練がされてきていないと感じています。これらは、コミュニケーション能力の基本であり、「生きる力」に通ずる能力です。これを、千厩高校では新聞を活用しながら重点的に取り組んでいきます。今年から、総合的な学習の時間等を使って取り組みます。 

さて、保護者の皆さま、今、開かれた学校ということが合い言葉になっています。地域との連携・家庭との連携を通じて、皆さまのお力をお借りしながら、いい学校にすることが目的です。私どもも、極力いろいろな手だてを工夫しながら、情報を開示し、またご要望をお伺いしていくつもりです。

どうか、お子様の成長と同じように、学校現場にも関心をもっていただき、そのうえで、ご理解、ご協力いただきたいと思っております。

この点を、特にお願いいたしまして式辞といたします。

本日は、本当におめでとうございます。

 

千厩高校入学希望の中学生諸君へ 

本日は、ようこそ千厩高校にお出で下さいました。心より歓迎いたします。そして納得いくまで見学していってください。今日はあいにく出張の予定が入っており、皆さんにお会いできないので、こうして文章でごあいさつする次第です。

さて皆さん、最近「脳科学」という分野が急速な進歩をとげていることをご存じでしょうか。ヘッドギアみたいなものをつけて脳内の血液中の酸素濃度を調べることで、脳内のどの部分が活性化しているのかが分かるようになりました。その結果、日本の伝統的な勉強法である「読み書き計算」が人間を人間たらしめている「前頭前野」という部分の発達をうながすことが分かってきました。「百ます計算」だの「声に出して読みたい日本語」といった本が大ベストセラーになったりしていますが、そういう背景があるのです。

また、大脳の灰白質(外側)と白質(内側)の働きや発達過程もわかってきました。勉強して得られた知識は、海馬というところを経由して灰白質に蓄積されます。この灰白質の神経細胞の増加は10代半ばをピークに急速に衰えるのだそうです。つまり、新しいことを覚える力は急速に衰えるのです。ところが、白質の神経細胞は歳をとっても訓練すればそれなりに増加させることができます。つまり、灰白質に蓄積された知識を組み合わせ活用する力は、歳をとっても訓練すれば増加させることができるのです。

何をいいたいかというと、やるべき時にやるべきことをしていなかったら大人になってから困る、ということです。知識を組み合わせ活用すべき時期に、組み合わせるべき知識が不足していては、いわゆる「大人の知恵」が出ないのです。

高校生になると、中学生時代に比べると、記憶力は確実に衰えるはずです。しかし、知識を総動員して考え判断する力の伸びる時期であります。そういう時期に学問の入門編とでもいうべき勉強をするのです。「学」は先人の知恵をまねぶことです。「問」は本当にそうかと疑うことです。そういう意味で、千厩高校では「考える習慣・学ぶ姿勢」を重視しています。おおいに学び、おおいに考えてください。

「脳科学」は、繰り返しますが、人間の成長過程において、「やるべき時期に、やるべきことを確実にやること」の大切さを教えてくれています。小学校高学年から中学生にかけての時期を「臨界期」といって人生のなかで最も記憶する力の伸びる時期です。ところが、高校生を見ていると、多くの人がこの臨界期に充分な知識をため込んでこなかったというのが現状です。千厩高校では、生徒が社会に出て困らないよう、新聞を活用した日本語教育を実施しています。「読み書き聞く話す」はコミュニケーションの基本です。千厩高校へ来てしっかり身に付けて欲しいと思います。その前段として中学校では、英語と国語はしっかりと只管朗読(しかんろうどく ただひたすらに声に出して教科書を読むこと)に努めてください。そして最低限、四則計算や分数・小数は、しっかり理解するようにしてください。今、多くの大学で、こうした基礎基本の徹底から入らざるをえない、というのが現状です。岩手県でも学力向上が一大テーマです。千厩高校生の進路は様々ですが、進路目標達成へ向けて学力向上に重点的に取り組んでいます。例えば、大学進学においても「行ける大学ではなく行きたい大学へ」を合い言葉に、個別指導の行き届いた「面倒見のよい学校」をめざしています。

ここで、「速い頭」と「強い頭」という話をしましょう。ある一定時間内に、与えられた問題に、より多くの正解を出すことのできる頭を「速い頭」と呼びます。入学試験に合格したり、資格を取るためには、この「速い頭」づくりをしなければなりません。勉強してきたか、これからの勉強に堪えられるのかを短時間に大勢の人々に試す方法はこれしかないからです。ところが、社会ではあまりこのようなことは重要ではありません。本に書いてあることは覚える必要はありません。むしろ、何が問題かを考え出すことの方が重要です。そして時間をかけてでも、その問題に自分で調べて自分なりの見解を持ち、人を巻き込みねばり強く説得することが大切です。そういうことができる頭を「強い頭」と呼びます。千厩高校では、この両方の頭づくりの基礎をやります。それは、授業だけではなく、部活動や生徒会活動を含む学校生活全体で対応します。部活動には、全員が入部することを原則にしています。運動部でも文化部でも結構です。どこかに入って、仲間と活動してください。体育館は3つもありますし、練習環境は恵まれている方だと思います。授業だけでは得られないものを身に付けてほしいと思います。また、千厩高校は生徒会活動が、とてもしっかりやれている学校です。楽しい学校づくりを執行部が中心になって自主的に企画・運営しています。どんな生徒会行事があるのか、先輩たちからよく聞いてください。

さて、千厩高校には生産技術科、産業技術科、普通科の3つの学科があります。生産技術科は本校の最も伝統のある学科で、「農の教育力による人間教育をベースに、農業・環境・調理・ファッション・介護福祉・保育教育等、幅広い分野への志をもった人材を育成する」学科です。産業技術科は日本の強みである「ものづくり」をめざします。具体的には、「エレクトロニクス・IT・ビジネスの基礎を習得し、日々変化する情報化社会へ柔軟に対応する力と、社会の中核となって活躍できる実践力を持った人材を育成する」学科です。また、普通科は「適性と進路に応じて系統的に学べるクラス編成により、生涯にわたり考える習慣と学ぶ意欲を持った、心身ともに健康でたくましい人材を育成する」学科です。それぞれ特長をもった学科です。まだ将来の方向づけはむずかしいとは思いますが、今日一日いろいろな見学や体験をしてみて、一番やりたいことの多い学科を選択してください。そして、わからないことがあったら先生方や先輩に遠慮なく聞いて、充分納得して受検に臨んで下さい。お待ちしております。

 

平成17年度岩手県立千厩高等学校経営方針 

学校の目的:生徒が幸せな人生を歩めるように基礎固めを行う 

― 幸せな人生とは何か

  「幸せな家庭は一様に幸せであるが、不幸な家庭はさまざまに不幸である。」

              トルストイ  アンナ・カレーニアの冒頭より

  「恒産なければ、恒心なし。」          「孟子」 

― 基礎固めとは何か

 新聞・雑誌が読みこなせること

        ― 幅広い知識の集積、論理的思考力 =「授業」により鍛える

考える習慣、学ぶ姿勢を養うこと

― 学問の奥深さ、人間としての謙虚さ =「先生の背中」で教える

人間関係を築くすべをもちあわせること

― 学校が修練の場(教育不能)=「部活動・生徒会活動」 

経営理念(目的を達成していく際の基本的考え方)

― 顧客本位   (顧客である生徒・保護者に迎合するのではなく、熟知する)

― 独自能力   (教職員は、教育のプロとしての見識とスキルを各自持つ)

― 従業員重視  (付加価値の源泉である教職員をその気にさせる)

― 社会との調和 (関係者とよく協議し、バランスよく対応する)

   以上、日本経営品質賞の4つの公理を準用する 

経営戦略(目的達成のため、何を捨て、何を重点的に実行するのかを明確にする)

― 手段が目的化していないかを常に確認し、仕事を見直す。

― 官僚文化(縦割り無責任、無謬主義、自己増殖、手段の目的化)を破壊する。

― 聴くこと、読むこと、考えること(知的生産スキルの3要素)を重視する。

― 抽象的言語を極力避け、言葉の定義を明確にし、コミュニケーションレベルを上げる。

― 先生が生徒と向き合う時間を増やす(学校付加価値=先生の質×接触時間)

― 授業をブラッシュアップする。(例:わかりやすい授業、感動する授業) 

経営方針(戦略に基づき、具体的に展開する方策)

1)授業評価を導入する(アンケート形式で生徒に授業を評価させる)

   目的は先生方の「気づき」による指導力UPと「わかりやすい授業」のため

   そして生徒に参画意識を醸成し「楽しい学校」にしていくため

   教科集団を、助け合いと切磋琢磨の場にしてほしい 

2)学力向上対策を地域で取り組む・・・・「地域に根ざした学校」

目的は地域で必要な人材は地域で育成すること  

なりたい職業に就こう 入りたい進学先に行こう

 教職員に対し「外に出よう」運動の展開    中学、地域企業、保護者 

3)多様なニーズに対応できる体制づくり

   進学、就職いずれにもバランスよく対応する・・・もっと個別指導を

   「文武両道」を文字どおり実践する・・・部活動の指導力点検

   併設校の特色を生かしているか?・・・各科はどんな人材を育成しようとしているのか(事業コンセプトの再構築) 

4)「学校からの広報」強化・・・・「地域に根ざした学校」

保護者向    PTA学年通信 校長通信 

地域住民向   学校へ行こう週間 文化祭他 広報「せんまや」

マスコミ向   月間スケジュールの送付 適宜情報提供(日報、日々)

企業向     インターンシップアンケート調査 ロータリークラブ

中学校向    地区校長懇談会 教科別懇談会 

5)学校評価・・・・ 内部評価、外部評価に分けて実施

           P−D−C−Aのサイクルを確実にまわす 

6)日本語教育の充実・・・・新聞を活用した「よのなか科」の実践 

7)教員研修の充実校を目指す・・・わかりやすい授業のための教材研究

                 部活動指導力UPのための研修

                 いわゆる「世間の風」に当たるための研修

 

「2回の脱皮」    

サラリーマンには2回脱皮が必要だと思う。1回目は、中間管理職になった時点。2回目は、経営者になった時点である。

新入社員はまず、与えられた仕事をこなさなければならない。当たり前のことである。評価される仕事をするには、その分野の専門知識が必要であるし、その組織特有の「掟」を覚えなければいけない。上司の指示を確認し、その期待がどこにあるのかを理解し、それに対応しなければならない。そして、仕事の進め方にも習熟することが大切だ。特に、他のセクションを巻き込む案件の場合、それなりの根回しが必要だ。必ず「掟」がある。

その所属するグループで、そういうことができるようになると評価され中間管理職へと昇進する。自分も担当分野を持ちながら、グループ全体の業務の総括をする。当然部下が発生する。この部下の指導も仕事のうちである。グループ全体の業務の成果で、あなたの評価も決まる。例え部下の失敗で業績が悪くなっても部下のせいにはできない。あなたに指導責任があるからである。「いい選手必ずしもいい監督ならず」で個人的には優秀でも、グループリーダーとして優秀とは限らない。組織構成員の成熟度や置かれた状況によって、リーダーシップの型を変えなければならないだろう。また、コーチングスキルだけでなく、リーダーとして「人間としてのパワー」が求められる。そしてなによりもグループとしての目に見える成果を示すことが求められる。ここで、脱皮が必要になる。

部長だろうが、課長だろうが、管理スパンは違っても中間管理職としての機能は同じである。ところが、経営者という立場になると求められる能力要件は違ってくる。一つの商品、一つの事業だけを見て、部分最適を図るだけでは済まされない。ステークホルダーすべてに心配りをしなければならない。そして、従業員を一つにまとめ、ベクトルを合わせて業務遂行するために、組織を貫徹する経営理念をうち立てなければならない。ここには、必ずコンセプショナルスキルというものが必要だ。過去の体験から、業界の特徴を把握し、その中で生きていくための「独自能力」を見極め、短期・中長期の観点から安定的かつ効率的な戦略を立案しなければならない。部分最適の観点から起案されてくる事業部の投資案件も、全体最適の観点から却下しないといけないような事態だってあり得る。ひとつの事業部を見限ることだって場合によってはしなければならないだろう。非情にならなければ、株主から刃を突きつけられることもあり得る。説明責任もある。結果責任も取らなければならない。常に「板子一枚下は地獄」の決断が求められる。そういう仕事に堪えられる人材は限られる。「人を見る目、時代を見る目、孤独に耐える精神力」に「激務に耐える体力」が必要かもしれない。経営者は、従業員とは違う人種にならなければならない。やはり、ここで脱皮が必要なのである。

さて、なぜこのような話をしているのかというと、学校現場では、先生方はどのような脱皮が必要なのだろうか、と考えているからである。なべぶたといわれる組織、評価のない世界、どうも現状だと脱皮は必要ないのかもしれない。

 

コンプライアンスということ 

コンプライアンスという言葉を法令遵守と訳して官が使用するのは、弊害が多く適切でないと考えるので、一言進言したい。

コンプライという動詞は、本来「一致させる」とか「従属させる」とかの意味で使用する。文例を挙げると次のような使い方をする。

We  should  make  the  rules  comply  with  our  common sense.

(規則を常識に一致させねばならない。)

 本来、組織内部の規範(norm)と外部の法令や社会常識といった規範を一致させるということである。従って、変えるべきなのは、内部の行動規範のこともあるし、外部の法令であることもある。それを法令遵守とやってしまったのでは、ますます学校現場が社会から遊離してしまうことになりかねない。学校現場に限らず、公務員の世界は法令・条例・通達の類のおかげで思考停止状態になっており、環境変化に対応できていない。むしろ、法令遵守しているから、生徒・保護者・地域のニーズに合致した教育ができないようになってきているのではないか。今、必要なことはむしろ「現場主義」に立って、外部の法令・条例・通達を変えることである。繰り返し言うが、変えるべきは、中学校で数学や英語を週3時間しか認めない学習指導要領であり、事務改善を阻害する条例であり、社会通念に合致しない県教委の通達や、制度としての上意下達型の業務運営システムである。従って、法令遵守と号令をかけることは、百害あって一利なしである。むしろより広い概念であるコンプライアンスをそのまま使用した方がよい。

コンプライアンスとは、経営学の概念でリスクマネジメントの一環である。多くのステークホルダー(利害関係者)に囲まれた近代企業の社会的信用の失墜は、企業存亡の危機につながる。三菱自動車、西武鉄道、雪印乳業、JR西日本、等枚挙にいとまないほど発生する企業不祥事をみれば、共通する欠陥は組織の風通しの悪さである。欠如しているのは、「現場主義」と「顧客本位」意識である。利益は手段であって、目的ではないとする経営理念の徹底である。官は、中でも教育機関はそこに子供がいる限り存亡の危機はない。

しかし、それに甘えず、ニーズに合致した効率的な学校運営をめざすべきと考え、提言するものである。上意下達システムにどっぷりつかっている現場教師は、基本的に民間で言う「指示待ち族」と同じである。校長も含めて思考停止状態が続いている。日本経営品質賞の考えが現場を変えると信じ、その考え方の徹底に努力してきたが、浸透スピードは満足いくようなものとは程遠い。全県的取り組みが望まれる。

 

農業クラブ機関誌「土くれ」            天は自ら助くる者を助く

 学校案内の生産技術科紹介に「農の教育力による人間教育をベースに・・・幅広い分野への志を持った人材を育成する。」とあります。それでは皆さん、「農の教育力」とはどのようなことなのか理解していますか。

いうまでもなく、農というのは自然に働きかけ動植物の生命機能を利用しながら自然の恵みを人間がもらうことです。自然が相手ですから人力ではどうしようもないことだって起こりうるのです。収穫量はお天道様次第ということもありますし、思わぬ災害に見舞われることだってありえます。そうしたなか、人々は助け合いながら営々と農業を営んできました。その集落ごとに共同体を形成し、掟を決めて助け合って生活してきました。私がこれまでもよく言ってきた日本の「おかげさまで」「おたがいさま」という精神風土はこうした土壌から生まれてきたものです。

自然に対して人間は小さな存在です。思いのままにならないことを何度も経験し、謙虚な姿勢が生まれます。ねばり強く生きていく術を覚えます。ちょっとしたことでキレたりは決してしないでしょう。他者から生命をいただいて、自らの生命を繋いでいるのです。そこから感謝の気持ちが醸成されてきます。感謝の気持ちができれば、そこから互助の精神、奉仕の精神が生まれてきます。そういう心豊かな人間を、農は自然自然に作り出すと考えられています。それを農の教育力と呼んでいます。

千厩高校生産技術科で学んだこの精神は、21世紀を創り出していく皆さんにとって、大変重要なものとなってくるはずです。現在の日本に一番欠けているものだからです。ある雑誌で、都会の学校の保護者が「給食費をちゃんと払っているのに、学校ではなぜごちそうさまと言わせるのか。」と詰問したという文章が出ていました。これほどかように精神の荒廃が進んでいるのです。

21世紀は環境の世紀となるといわれています。合言葉は「共生」です。持続可能な地球環境を維持し、未来永劫平和で豊かな人々のくらしが可能となる仕組みを構築することが求められています。そこで改めて注目されているのが、日本の里山であり、江戸時代のリサイクル社会であり、「もったいない」という言葉に象徴される日本の精神なのです。

里山とは即ち人手の入った自然のことです。自然を征服するのではなく、必要な分だけ自然に働きかけ自然と共生するところです。2世紀半に及ぶ江戸時代は近年、その評価が大きく変わりつつあります。確かに、産業革命を経て飛躍的に生産力を拡大した欧米列強が、その市場と資源を求めて植民地支配に乗り出したことからは遅れをとったのは事実ですが、平和な時代が続くことにより学問・文化・芸術の各方面にわたって世界的な先進地域であったという評価が定着してきています。明治維新から日露戦争までの40年間の日本の飛躍は、そういう江戸時代の土台があったからこそ成し得た飛躍であったということが定説になっています。特に寺子屋という庶民教育の場の普及は、欧米に植民地支配された他のアジア各国との大きな違いでした。幕藩体制という地方自治組織もまた、これからの日本の政治体制を考える上でのヒントになりうる先進性を秘めたものといえます。

さて、現在のグローバリズムの進展に伴って、地方の衰退が問題になっています。このままの状態が続くと国土の荒廃ばかりでなく、農耕民族特有の共同体精神が崩壊するのではないか、ということが心配です。65歳以上が50%以上を占める集落を「限界集落」と呼び共同体崩壊が時間の問題とされていますが、こうした集落が出現しつつあります。

経済学の概念に「市場の失敗」というのがあります。市場は効率良く資源配分するには欠かすことが出来ない仕組みです。しかし、あらゆる情報が生産者・消費者に共有され、独占や寡占といったこともない古典的な市場というものは、現在極く一部の産業分野に限られると考えられます。常に経済的強者が情報をいち早く把握して行動しますし、特に労働市場では、衰退産業で給料が上がらないからといってすぐに他産業へ移動することも現実には困難を伴います。そこに公的部門の存在理由もあるのですが、一方で国際化が避けられないわけですから、今まで以上に自らを助ける気概が大切になってきています。幕末の米沢藩主上杉鷹山が行った幕政改革が注目を集めるのも時代背景が似通っているからでしょう。鷹山が説いた自助・互助・扶助の精神はまさしくこれからの農業をめざす者の基本理念となるものと思います。鷹山の普遍性は、スマイルズの西国立志編やケネディ大統領の就任演説を持ち出すまでもなく、世界各国の経済環境をみたときに納得できるものとなるはずです。これからは、グローバルに考えてローカルに活動する若者、何ごとかに果敢に挑戦するたくましい若者、が期待されています。皆さんがそういう若者になることを切に希望します。

 

農業クラブ機関誌「土くれ」       パトリオティズム礼賛

東磐井という日本の典型的な中山間地が、国際化の波に抗して生き残っていくにはどうすればよいのか、どういう人材を育てなければならないのか、いつも私は考えています。この冬は記録的な大雪で、人口減少が止まらず高齢化が著しい過疎地では雪かきもままならず、日常生活にも支障が出てきていることは連日報道されています。お互いを支え合うコミュニティとして機能しなくなりそうな高齢化した集落を「限界集落」と呼ぶのだそうですが、その限界集落がこの東磐井の地にも出てきそうな予感がしています。

農のもつ多面的な機能すなわち治水利水機能や環境維持機能、はたまた文化を育み伝承していく機能が充分果たされなくなると、日本は衰退の道をたどるしかありません。富山和子氏が言うように、「都会に水を安定的に供給し、洪水被害を防ぐ上で水田の果たす役割は大変大きい。自然を守るとは自然を野放しにすることではありません。むしろ自然の再生サイクルに人間が参加しその恵みを享受するとともにお返しをすること、それが日本の農林業であり、今まさに世界が目指している持続可能な開発のお手本です。農業が衰退すると日本人がコメづくりで養ってきた勤勉さ、緻密さ、粘り強さといった美徳も失われ、モノづくり文化も衰退する。自然と共生し、四季を愛でる感受性、命を慈しむ心が薄れ、精神的にも荒廃していく。」のです。

 そこで、日本の農林業を「食える産業」にし、農村で隣近所と助け合いながら生活をし、子育てができるような平和で豊かな地域に、この「ふるさと」をしていくことが必要です。

ご存じのように、WTO(世界貿易機構)では、コメの輸出国から日本の関税の高さと関税品目の量の多さを指摘されています。食料自給率の低迷を理由に日本政府は諸外国の圧力に抵抗しながらも、農業の競争力強化をめざしています。地産地消の取り組みとか、ブランド化し輸出に力を入れるとか、二次加工して付加価値をつけるとか、地域ごとにいろいろな試みがおこなわれています。大変いいことだと思いますし、是非、君たちからもそういう挑戦者が出てきてほしいと思います。新しい試みは、採算という観点では十中八九失敗に終わるというのが通常です。しかし、10人の挑戦者がいなければ、1人の成功者もないということも事実です。成功者が出なければ、雇用も増えません。雇用が増えなければ、それだけ地域が衰退していきます。国や県の財政が大変厳しくなっています。そうした背景の下で、「地方の自立」ということがいわれています。今までのように、「お上」をあてにするのではなく、自分たちの問題は自分たちで解決するという気概が望まれています。千厩地区でも「まちづくり株式会社」が発足しています。商店街の人たちがお金を出し合って、まちの活性化を事業として行おうとするものです。それはそれで結構なことと思いますし、いろいろな挑戦があってよいと思います。しかし、一番大事なことは一人一人が「ふるさと」を大切にしていこうという「志」です。学校の経営戦略のひとつに「志」を入れているのは、そうした地域の事情と無関係ではありません。「志」がないと、起業の際に必要なエネルギーが出てきません。何かにこだわりを持って、ねばり強く働きかけをしていかないと事業などというものは軌道に乗るものではありません。もちろん、気持ちだけではダメで、更に、こだわりの種が顧客に受け入れられるものであることが肝要です。そのためのスキルが当然あるのですが、何といっても出発点になるのは「ふるさと」をなんとかしたいという想いです。

パトリオティズム(Patriotism)という英単語があります。郷土愛という意味です。ナショナリズムがどちらかというと政治的に使用されるのに対し、パトリオティズムは人間の自然の情として使用されます。サッカーやバレーボールの国際試合で「日本チャチャチャ」という応援をしたくなったり、都道府県別駅伝大会で岩手県を応援したくなったりするわけですが、そういう場合の自然な感情のことをパトリオティズムといいます。国際化の影響が強まれば強まるほど、ふるさとを想う自然な感情が大切になってくるような気がします。それをバネに具体策に結びつける・・・そういう逞しい人材が望まれているのではないでしょうか。生産技術科の目的のひとつに「担い手の育成」という項目があります。それゆえ農協からは、有形無形のご支援をいただいているのです。農業という産業が持つすばらしい教育力を活用するだけではなく、実際に新しい農業へと踏み出す挑戦者が、どんどん出てくるような学校をめざしたいと考えています。

 

「言葉が光る」  

通産省が産業界と教育界をつなぐために、産業界から教育界に対し、こんな人材を供給してほしいという要望を、「社会人基礎力」という形でまとめ発表した。両方の世界で、共通言語をつくり、建設的で意味のある対話をしていくためである。とかく従来は、「豊かな心」だとか「生きる力」といった誰も反対できない抽象的な表現が多く、変革行動に結びつかなかったのであるが、「社会人基礎力」という概念は具体的である。組織のなかで、仕事をうまくこなしていける行動特性(コンピタンシー)ともいえる概念で、物事に積極的に取り組む姿勢や、多様な人たちと協力していく態度のほかに、疑問を持ち考え抜く力という3つの要素からなる。特にこの考え抜く力というのは、更に、課題発見力、計画力、創造力という3つの要素に分解されているが、今回この考え抜く力ということを取り上げてみたい。

人は誰でも学業、研究、仕事においてカベにぶつかる。そこで立ち止まりどうしていいのか悩む。スランプは誰にでもつきものである。そうしたときにどういう行動をとるかが大事である。カベに向き合いながら、カベの前でしばらくウロチョロしておけ、というのが私の持論である。決してあせってはいけない。果報は寝て待て、待てば海路の日和ありである。私もかつて多くのカベにぶち当たった。営業に仕事が変わってまもなくの頃、自分の担当する問屋が思うように動かない。押しても引いても何ともならない、営業数字は低迷するばかりである。とうとうしびれを切らして大げんかをしてしまった。顧客に対して絶対やってはいけないことである。いや、やれるような立場ではない時分である。上司にカバーしてもらって何とか事なきを得たが、そうした時の上司の言葉には光るものがあった。「おい池田、問屋は所詮他人資本なんだぞ。」他人資本という言葉に何とも言えぬ深さを感じた。

市況が悪化してその問屋からの価格相談が多くなってきて、毎月何億という値引き処理をやらざるを得なくなっていたとき、市場を建て直すには自分の存在を否定したくなっていた。「私がいるから価格相談されるのであって、いなくなった方がいいのではないか。」「どんなレベルが適正なのか、こんな杜撰な価格交渉で会社の金を流出させてしまって本当にいいんですか。」と上司にたずねたことがある。「会社の金を自分の金と同じように考えられるか。自分の金と同じと思えるのだったら、何をしてもいい。自分を信じて処理すればいい。」といわれた。この自分の金云々は後日会社再建のため出向社長をやったときに骨身にしみる言葉となった。

いずれの場合も、悩み考え抜いた末に聞いた言葉には光るものが多い。そういう見方もあったのかと一言で救われた思いをしたことがたびたびある。本を読んでいても問題意識が鮮明だと「言葉が光る」という思いをすることがある。なんとなく漠然と思っていたことを改めて他者の文章を読んで考えがまとまるということもある。最近では、藤原正彦、福島清彦、門脇厚司氏の著作にそれを感じた。こうして人はだんだん賢くなっていくんだと思う。

脳科学にセレンディピティ(serendipity)という言葉がある。全くの偶然からでも重大な発明発見をおこなうことができる能力のことである。特に科学研究の分野で実験の途中で失敗したために得られた結果から重要な発明発見がなされた例が多い。古くは、フレミングの抗生物質の発見やノーベルのダイナマイトの発明、近くは、田中耕一氏の高分子質量分析法や飯島澄男氏のカーボンナノチューブ等が有名である。これらは、すべて失敗の産物であるが、それまでの思考の深さ、真理を追究するひたむきさによって「ひらめき」がもたらされ、発見に結びついたという。そこまで自分を追い込めるからこそそういう能力が身に付くという。

考え、考え、考え抜いた末に聞く他人の一言、読む文章の一節に光るものを感じるという経験は、一種のセレンディピティではないかと思う。数学の難問に挑戦して、やっとのことで正解を得る。何日も考え抜いた末に解けるという経験は、脳内にドーパミンを発生させ、快感経験となって将来の困難に立ち向かえるその人の資質となっていくのだろう。子供たちにもそういう経験は貴重ではないかと考えるのである。千厩高校にも来春の大学入試へ向けてがんばっている子供たちがいる。制限時間内でどれだけ点数を高められるかという訓練をしている。いわば「速い頭」づくりをしている。しかし、社会では何十分という単位で制限時間を設けられ解を求められるという例はほとんどない。多くは何ヶ月というスパンである。いわば「強い頭」が要求される。このふたつの頭の関係性について正確にはわからないが、「速い頭」づくりで自分を究極まで追いつめた体験は、追いつめたという体験ゆえに「強い頭」づくりにも繋がっているものと思いたい。

  

「桑の実」原稿    校長挨拶  「聴くこと・読むこと・考えること」 

皆さんに、「人間、賢くなるには3つの方法しかない。それは聴くこと、読むこと、考えることです。」と校長講話で話したことを覚えているだろうか。知的生産手段とはこの3つであると私は考えている。実は、この3つはいずれも大変むずかしい。

まず聴くこと。これは、言語の限界を考えなければならない。「言葉は地図、大切なのは現地」ということがある。相手の話を言葉どおり受け取れないケースもある。その時の相手の感情を斟酌しないといけない。特に日本人は阿吽(あうん)の呼吸、場の雰囲気を感じ取ることを「粋」(いき)とし、大きな価値を置いている。それができないことを「野暮」(やぼ)という。また、「目は口ほどにものをいい」ともいう。「感情面も含めて相手を理解すること」そのことを聴くという。

会社にいたとき、「積極的傾聴法」というテーマだけで2泊3日の研修会を企画した。営業マン研修というと、口八丁手八丁のやり手営業マンづくりを皆さんは想起しないだろうか。しかし私の経験によると、成績のよい営業マンはむしろ寡黙である。しゃべるよりも聞き上手が多い。ルート営業マン(決められたお客さんを相手にする)には性格的には内向的な方が向いているようにも思う。「巧言令色、鮮なし仁」の見方が認知されている。

知的になるためには、人に会い、その人の体験や考えを聴くことが大切だ。先入観を持たずに、虚心坦懐に聴くことに徹する。その技術を磨くことだけに3日間も経費をかけて社員教育をした。それだけ奥深いことであり、重要なことなのである。

次は読むこと。私の場合、自分が直面している課題解決のために暗中模索のなかでヒントが欲しくて読書するというパターンが多い。つまり読むことのきっかけとして、何に興味・関心があるかが一番大事であることの一例であり、読み進むに従ってますます。興味・関心はイモヅル式に湧いてくるものである。ところで、国語の教科書は珠玉の文章の集まりである。すばらしい本を君たちは手にしているのだが、その実感はあるだろうか。その文章を読んでもっともっと読みたい、原典に触れてみたいと感じたことがあるだろうか。皆さんには、そうしてイモヅル式に興味・関心の輪を広げていってもらいたいし、先生方には、生徒をその気にさせる授業をしてもらいたいと思っている。そのためには、その分野における「深さ」が先生方には必要だ。こう見えても、学校時代は結構小説を読んだし、詩歌にも親しんだ。ブルーバックスの科学の本も好きだったが、如何せん目の前の受験準備のために中断したのは残念だった。大学に入ったらと思っていたが、時間が充分できたらどういうわけかあまり読もうという気分になれなかった。旧制高校の寮舎で2年間過ごしたが、友人たちとの会話からいわゆる「耳学問」はしっかり身につけたつもりである。社会人になってからは、仕事の本が中心になった。最初は人事労務畑のため、「職場を活性化し効率をあげていくためにはどうすればよいか」という問題意識に基づいていろいろな本を乱読した。月給の5%は本代に使えと上司に言われた時期である。続く営業時代には「企業によって大きく業績が違ってくるのはどうしてか。」という問題意識で読んだ本が多い。社会学や組織論、経営学の本が多かった。そして日米貿易摩擦に巻き込まれた。1990年代のクリントン政権下、USTR(アメリカ通商産業局)と日本の通産省との協議であるが、日本はどうみても及び腰であった。今思えば、最初からこの貿易戦争には負けていた。そもそも戦争という発想が、日本陣営にはなかった。兄貴分のアメリカにご指導いただくという姿勢であり、極力個別業界の問題に留め、他に波及させないという方針であったように思う。最近になって、野村総研の福島清彦という人が「国際化とは、支配的な力をもつ国が、自国が優位に立つ状態を確立し、永続化するために行う世界的な制度作り」と定義しているのを読んで、痛く共感している次第である。アジア通貨危機や南米・ロシアの経済危機に深く関与した国際通貨基金(IMF)はアメリカ財務省の別働隊であり、金融技術というアメリカの強みを発揮し易い経済環境を世界に拡大しようしているのである。ともあれこの時期は「アメリカとはどういう国か、日本はどうつきあえばいいのか。」という問題意識の下で読書した。現在、学校改革の基本理念にしている<日本経営品質賞>やMBA(アメリカ経営学修士)流の経営学も日本語版で勉強した。そして、実際に債務超過の子会社に出向して経営再建を実践した後、「再建のプロ」を目指して希望退職したのである。その後、紆余曲折を経て今、校長となっているが、概略これまで述べてきたような経過で知的な積み重ねはやってきたつもりである。

さて、最後は考えること。論語にも「学びて思わざればすなわち暗く、思うて学ばざればすなわち危うし」とある。聴くこと・読むことによって学んでも、自分の頭で考えなければ知的レベルはあがらない。他人の受け売りだけの軽薄な人間になってしまう。君たちは今、学校で学問の入口に立っている。その学問とは何かを考えてほしい。「学問」とは、「学ぶこと」と「問うこと」である。「問うこと」は「疑うこと」である。既にできあがったものを本当にそうかと疑問を投げかけることである。「なぜ」という問いを何度も繰り返し、問題の本質に迫ることである。学校では先生が、試験等の形で問題を出してくれる。いわば「他問自答」の形といえる。皆さんが社会に出たら、学校のように親切に問いを発してくれない。皆忙しい。必要な問いは自分自身でしなければならない。「自問自答」しかない。ここが学校と社会との一番大きな違いだ。だから今のうちに「考える習慣・学ぶ姿勢」の涵養が必要だ。胸に手を当てて考えてください。果たして自分は「考える習慣・学ぶ姿勢」が身に付いたかと。とても大切なことだと自覚してください。

日本経済は、「失われた10年」を経て、21世紀に入っても沈滞ムードが漂っている。中国特需や米国経済が好調なおかげで、産業界は今一息ついているが、730兆円にも及ぶ政府部門の借金(地方部分を含む)は増える一方であるし、相変わらず国際化による競争激化に伴うデフレ圧力は収まっていない。こういう環境変化はまず弱者を襲うのが定石である。労働市場では、非正規労働者の割合が30%を超え35%へなろうとしている。また、自殺者が毎年3万人を越えるようになってから何年過ぎたであろうか。最近はニートといわれる若者のことが話題になっている。「乱暴な市場原理主義反対」といっても始まらない。国際情勢は如何ともしがたい勢いで市場の自由化へ向かっている。私達にできることは、環境変化に対応し、私達自身を変えることである。確実に変えることができるのは、「未来」と「自分」だけなのである。厳しい社会でもやっていけるように、われわれ自身が自衛することである。そして、そういう準備のできた生徒を世に送り出すことのできる学校づくりをこれからやろうとしているのである。

君たちにはわかってほしい。新聞・雑誌を読みこなせる基礎学力がますます重要になっていることを。「考える習慣・学ぶ姿勢」が一生必要なことを。そして人間関係を構築していくすべを習得することが絶対に必要なことを。

 

PTA会報(第11号)校長挨拶原稿   「企業アンケート調査から」

 県内の有識者・学校関係者による「いわて産業人材育成会議」が、この5月から11回開催され、11月4日に知事に答申案を提出しました。答申案の中身はともかく、ここで行われた企業アンケートの結果を簡単にご紹介したいと思います。それは、私が千厩高校を改革しようとしている方向性と軌を一にしているからです。この企業アンケートは工業高校生を採用している県内企業を対象に実施したものですが、高校生に不足しているものとして不満に思っている点を上位から順番にあげていくと、

1)自己管理能力 

2)社会人としてのマナー 

3)仕事に対する意欲・情熱 

4)コミュニケーション能力

5)基礎的な技術・技能 

6)基礎的な学力        となっています。

そして、資格取得に関しては、50社中35社は何もいらないと答えています。要するに、もっと人間としての基礎基本をしっかり身につけて社会人になってほしいということです。人間としての基礎基本を、私は次の3つに定義しました。新聞・雑誌が読みこなせること即ち日本語でのコミュニケーション能力、考える習慣・学ぶ姿勢これは仕事に対する意欲・情熱に通じます、人間関係構築能力、これは学校という集団生活をする場において自分で頭を打ちながら身につけていくものだと考えます。

そして、基礎的な学力・技能をつけるため「わかりやすい授業」がなによりも肝心と考え、授業評価を開始しました。また、躾という観点ではご家庭との連携が大切との認識から充分な意志疎通を心がけているつもりです。

私自身もかつて採用を担当していました。その時の経験が現在の学校経営方針に繋がっています。私の経歴の特殊性から、よく地域の方々や産業界の人たちに頼まれて講演をする機会があります。できるだけ多くの人たちに私の考えを聞いてもらいたいので、できる限りお受けするようにしています。中央と地方、輸出型大企業と中小企業の格差が拡がりつつあるなかで、地域の産業を支える方たちも必死です。付加価値を生むのは従業員ですから、当然、従業員予備軍である高校生の教育にも関心をお持ちになります。そして、当校の経営方針を聞いて大変好意的な反応が多く寄せられます。心強い限りです。県教委も経営品質の考え方を本格的に取り入れて教育改革に取り組み始めました。保護者の皆さまにも引き続きご支援をよろしくお願いいたします。

 

教員評価千厩高校案                      平成18年6月16日 

考え方

1.県の財政状況を鑑み、人件費総額は増額させない。(現状維持する)

2.生徒と向き合う時間を確保するため、現場をこれ以上多忙にさせない。

3.導入に当たっては、県民の理解が得られる内容とする。

4.現在の悪平等主義から、公平感のある処遇システムを確立する。

5.教職員のモティベーションを向上させる方向でシステム設計をおこなう。 

具体的方策

(月例本俸について)

1.45歳で定期昇給は終了する。これと特別昇給分を原資として役割手当を創出する。

2. 45歳までの昇給は育成期間につき査定しない。(標準昇給とする)ただし、5年ごとに適性について評価をおこない、不適性者は排除する。(絶対基準:二人以上の校長判断)

3.45歳以上で、下記4の役割を担う者に対し、役割手当を支給することができる。

4.役割手当は月額で次のとおりとする。(この手当は45歳未満には支給しない)

  校長手当       20万円

  副校長手当      15万円

  教頭手当       12万円

  主任手当       10万円  7万円  4万円

学年長手当       7万円

  担任手当        3万円 

(期末勤勉手当について)

1.基本的には、(本俸+役割手当)×支給月数 とする。

2.45歳未満で役割手当相当ポストにある者に対し、1割〜2割、増額して支給する。 

(退職金について)

1.通常の計算式に役割手当支給累計の30%を加算する。 

(移行期の取り扱い)

1.移行期の取り扱いについては、別途協議する。 

(その他)

1.教員全体に対し、部顧問手当を支給する。これは、時間外手当分を包括して支給するものである。                             以上

 

卒業式式辞 

 本日、ここに、多数のご来賓の皆さま並びに保護者の皆さまのご臨席をいただき、平成十八年度卒業証書授与式を挙行できますことは、誠に喜びに耐えません。衷心より御礼申し上げます。

今まさに、この山仰台から旅立とうとしている 242名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。心からお祝いを申し上げます。また、保護者の皆さまにおかれましても、来し方を振り返りますと、感慨も一入のことと存じます。改めてお祝いを申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん、21世紀は「環境の世紀」といわれています。国連の「気候変動に関する国際パネル」(IPCC)で、地球が温暖化しているのは疑問の余地がないことであり、その原因は二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスである可能性が極めて高い、とする報告書が発表されました。

このままの状態を放置すると、21世紀の終わりには世界の平均気温が4度C上がり、最大で海面が59センチ上昇すると予測しています。これらの科学的根拠について云々する知識を、私は持ち合わせていません。しかし、日常的な実感として今年のような暖冬異変があったり、また、海水温や海流の変化で漁場が変わってきたり、作物の旬の時期がずれてきたという報道にも日々私たちは接しています。今こそ私たちは宇宙船地球号の住民として、更に大きな観点で、ものを考えていかなければならないのではないかと思っています。そうしたときに、日本の、しかも田舎の価値観が、これからの時代の世界の指導原理になりうると考えています。今はアメリカの時代です。しかし、アメリカの指導原理が世界すべてに敷衍できるものではないことが、だんだんはっきりしてきました。多極化の時代を経て、君たちの生きているうちに、アジアの時代になってくると思います。そのときに、私たちの価値観こそが、指導原理になっていかなければならないと私は思っています。そして、君たちのなかから世界の指導者が出てくることを期待しています。

 皆さんは「もったいない」という日本語の語感がわかるはずです。英語の、「セービング」という一語でかたづけられない深さと幅をもった言葉です。ケニアのマータイ環境副大臣が、この言葉を理解して日本文化を激賞したということで話題になりました。この言葉の背景には、里山の文化思想があります。自然と共生してきた日本の2千年の、農耕民族としての歴史文化があります。神道に、仏教や儒教を融合してきた宗教観・倫理観があります。

また、日本のエネルギー効率は、アメリカの4倍、中国の10倍といわれています。昭和の時代に2度のオイルショックに見舞われましたが、その都度、私たちの先輩は創意工夫を重ね、技術革新に取り組んでノウハウを蓄積してきました。高度成長期に公害という大きな犠牲を払いましたが、それを克服するための技術開発を進めてきました。その結果、日本の環境技術は世界のトップレベルになっています。皆さんには、そういう技術先進国に住んでいるという自覚を持ってほしいと思います。 

 さて、私は度々国際化の時代である、といってきました。競争が激しくなって、地元企業も生き残りをかけて必死に努力している、という話をしてきました。今のところ、それが中央と地方の格差、大企業と中小零細企業との格差、正社員と非正社員との格差になっています。こんな状態が固定化していいはずがありません。では、どうすればいいか。

 私は、その解答は「人」にしかないと考えています。何ごとにも積極的に挑戦できる人材、困難にぶつかっても考え抜く力をもった人材、コミュニケーション能力の高い人材、が望まれています。また、異文化にも寛容の精神で一旦は受け止め、折り合いをつけていく知恵が大切です。日本という国は古来そういうことをしてきた国柄です。寛容と協調と共生、これからの世界のリーダーに必要な要件のすべてが、私達の遺伝子に組み込まれています。そのことを忘れることなく、おおいに大志を抱いてください。

日本の「クニのカタチ」は、農村に原点があります。そこには、「生かされている、」という謙虚な姿勢があります。「おかげさまで、」という感謝の心があります。「おたがいさま、」という相互扶助の心があります。こうした心をもった君たちに、多いに期待させてもらいたい。自信をもって進んでください。

 皆さんの今後の進路は、さまざまに分かれます。どのような道を選択するにせよ、これからは一生、勉強です。知識と知恵こそが価値を生む時代です。この「知価社会」は、即ち「生涯学習社会」です。学ぶ姿勢と考える習慣、個人を磨く大切さを忘れないで欲しい。そして、皆さんを育んでくださったご両親、ともに学んだ学友、このふるさとを、即ち皆さんの原点を大切にしてください。

最後に旅立ちの日に当たり、皆さんがそれぞれの進路で、更に飛躍していくことをお祈りし、お別れの言葉にしたいと思います。

ご来賓の皆さま、本日はご多忙の中、ご臨席を賜り誠にありがとうございました。今後とも本校教育の発展のために、ご支援・ご協力を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。

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